著者
横手 逸男 ヨコテ イツオ Itsuo Yokote
雑誌
浦和論叢
巻号頁・発行日
no.46, pp.115-131, 2012-02

1941年12月の日米開戦後まもなく米国では、戦後対外政策諮問委員会(ACPER)が創設され、その下に領土委員会や特別調査部の極東班などにおいて、戦後の天皇制度に関する話し合いが行われた。日本占領にあたり天皇をどう扱うか、当時の国務省内では、活発な論議がなされている。戦局も押し迫り、新たに発足した戦後計画委員会や部局間極東地域委員会では、「天皇制存置・利用論」と「天皇制廃止論」との激しいやりとりがなされている。1944年末には国務省の機構改革により幹部会が発足した。また、その頃、戦争終結をみすえ、国務・陸軍・海軍三省委員会(SWNCC)が創設され、ここで決定されたSWNCC文書は米国政府の基本文書となった。国務省の知日派のグルーらは、「天皇制存置・利用論」の立場をとったが、1945年6月に示された「SWNNCC150」や7月に発せられた「ポツダム宣言」ではこの点については特に明示されず、同宣言を受諾し降伏するかの判断も、原爆投下、ソ連対日参戦後の御前会議における天皇の「ご聖断」を待たねばならなかった。

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