著者
蒲池 勢至
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.209-236, 1993-03-25

これまで民俗学における墓制研究は、「両墓制」を中心にして進展してきた。「両墓制」は「単墓制」に対しての用語であるが、近年、これに加えて「無墓制」ということがいわれている。「無墓制」については、研究者の捉え方や概念規定が一様でなく混乱も生じているので、本稿ではこの墓制が投げかけた問題を指摘してみたい。さらに、「無墓制」が真宗門徒地帯に多くみられることから、真宗における「墓」のあり方を通して「石塔」や「納骨」といった問題を考えようとするものである。まず、全国各地の事例を整理してみると、これまでの報告には火葬と土葬の場合が区別されずにいたり、あるいは「墓がない」というとき「墓とは何か」が曖昧であった。それはまた、両墓制における「詣り墓」(石塔)とは何かが曖昧であったことを示している。「無墓制」の実態は、火葬したあとに遺骨を放置してしまい、石塔を建立しないものであるが、この墓制は両墓制研究の中で、いま一度、遺体埋葬地や石塔の問題、土葬だけでなく火葬の問題を検討しなければならないことを教えている。真宗門徒になぜ「無墓制」が多いのかについては、真宗信仰が墓をどのように考えていたのか歴史的に考察する。現在の真宗墓地にみられる石塔の形態や本山納骨の成立過程をみて、真宗の墓制観や教団による規制との関係を論じる。そこには、遺体や遺骨を祭祀することは教義的に問題があった。中世においても、真宗は卒塔婆や石塔に否定的であって、このような墓や石塔に対する軽視観は近世を通じて今日まで至り、火葬のあとに遣骨を放置したまま石塔も建立しない習俗が残存したのである。また、真宗は墓としての石塔は否定したが、納骨儀礼は認めて、近世教団体制の確立する段階で中世的納骨儀礼を近世的な形で継承したのであった。

言及状況

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墓を作らない、いわゆる無墓制についての研究報告。これは1993年のもので今も行っている地域がどれだけあるかはわからないが、たぶん一番有名な笠佐島の遺骨野晒しをはじめ、廃棄、放置など、見ればいろいろあるもんだなとは思う。 https://t.co/AmupdmiNOw

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