2 1 1 0 OA 玉纒太刀考

著者
白石 太一郎
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.141-164, 1993-02-26

伊勢神宮の社殿は20年に一度建て替えられる。この式年遷宮に際しては建物だけではなく,神の衣装である装束や持物である神宝類も作り替えられる。アマテラスを祭る内宮の神宝には「玉纒太刀」と呼ばれる大刀がある。近年調進される玉纒太刀は多くの玉類を散りばめた豪華な唐様式の大刀であるが,これは10世紀後半以降の様式である。『延喜式』によって知ることができるそれ以前の様式は,環のついた逆梯形で板状の柄頭(つかがしら)をもつ柄部に,手の甲を護るための帯をつけ,おそらく斜格子文にガラス玉をあしらった鞘をもったもので,金の魚形装飾がともなっていたらしい。一方,関東地方の6世紀の古墳にみられる大刀形埴輪は,いずれも逆梯形で板状の柄頭の柄に,三輪玉のついた手の甲を護るための帯をもち,鞘尻の太くなる鞘をもつものである。後藤守一は早くからこの大刀形埴輪が,『延喜式』からうかがえる玉纏太刀とも多くの共通点をもつことを指摘していた。ただそうした大刀の拵えのわかる実物資料がほとんど知られていなかったため,こうした大刀形埴輪は頭椎大刀を形式化して表現したものであろうと推定していた。1988年に奈良県藤ノ木古墳の石棺内から発見された5口の大刀のうち,大刀1,大刀5は,大刀形埴輪などから想定していた玉纒太刀の様式を具体的に示すものとして注目される。それは捩り環をつけた逆梯形で板状の柄頭をもち,柄には金銅製三輪玉をつけた手を護るための帯がつく。また太い木製の鞘には細かい斜格子文の透かしのある金銅板を巻き,格子文の交点にはガラス玉がつけられている。さらにそれぞれに金銅製の双魚佩がともなっている。それは基本的な様式を大刀形埴輪とも共通にする倭風の拵えの大刀であり,まさに玉纒太刀の原形と考えてさしつかえないものである。こうした梯形柄頭大刀やそれに近い系統の倭風の大刀には,金銅製の双魚佩をともなうものがいくつかある。6世紀初頭の大王墓に準じるクラスの墓と考えられる大阪府峯ケ塚古墳でも双魚佩をともなう倭風の大刀が3口出土している。6世紀は環頭大刀や円頭大刀など朝鮮半島系の拵えの大刀やその影響をうけた大刀の全盛期であるが,畿内の最高支配者層の古墳では倭風の大刀が重視され,また古墳に立てならべる埴輪につくられるのもすべてこの倭風の大刀であった。大王の祖先神をまつる伊勢神宮の神宝の玉纒太刀がこの伝統的な倭風の様式の大刀にほかならないことは,6・7世紀の倭国の支配者層が,積極的に外来の文化や技術を受入れながらも,なお伝統的な価値観を保持しようとしていたことを示す一つの事例として興味ふかい。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (2 users, 3 posts, 0 favorites)

玉纒太刀考 白 石 太一郎 https://t.co/ELVQw25eZ9

収集済み URL リスト