著者
高橋 敏
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.1-19, 2004-03-01

人々は生命の危機に曝らされ、生活共同体の存亡の局面に立たされたときどのような行動に走るのであろうか。もとより、本来生命を保護し、共同体を行政の一環として支配する体制が人々の不安を解消し得ない非日常の時空においてである。本稿は安政五年(一八五八)突如人々を襲ったコレラの脅威に人々がどのように立ち向かったのか、いやいかにしてこの災厄から逃れようとしたのかを、克明に実証しようとしたものである。安政五年は黒船という「異」の襲来と嘉永末年から安政初年にかけて連続して天地を揺がし、地を震わせた大地震・大津波の恐怖の未だ覚めやらぬ時であった。そこにコレラが襲いかかった。即死病といわれ次々と感染しては大量死に至る惨状は医療行為によって対応することは困難となり、ありとあらゆる神・仏、流行神、呪術を動員して、これに当たることとなった。本稿は、人々の動向を駿河国駿東郡下香貫村(現沼津市下香貫)と深良村(現裾野市深良)で検証する。この二つの事例を取り上げたのはもちろん動向を記録した史料に恵まれたこともあるが、共通して京都吉田大元宮の勧請によってコレラの災厄を除こうしたことに注目したからである。何故に吉田神社の勧請に走ったのか。村共同体の意志決定の過程、吉田神社の神道支配の流れに着目しつつ、コレラの非日常の時空に置かれた人々の不安とそれに立ち向かう人々のエネルギーを掘り起こしたい。吉田神社の勧請は京都往復の路銀はもちろん祈祷料、鎮札などの宗教儀礼に金がかかる。下香貫村、深良村両村とも莫大な金銭の喜捨を村人に求め、最高級の七両二分の祈祷(小箱)をお願いし、帰村後は吉田宮まで造営し、コレラはじめ災厄除けの宮を勧請している。

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ふと試しに「勧請 吉田神社 コレラ」でググったところこういうのを見かけたなど。無論ググっただけ&これ一つで何調べた気になっとんじゃあというのは極めて大であり申し訳なんですが、ひとつ読み物として興味深いものでした。/ https://t.co/EVezPyx4ah

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