著者
千田 嘉博
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.112, pp.427-449, 2004-02-27

宮崎城は現在の宮崎市池内町に所在した戦国期の拠点城郭である。遺構がほぼ完全に残るだけでなく、一五八〇年から一五八七年にかけて城主だった上井覚兼(一五四五―一五八九)が詳細な日記を書き残したことで、城郭構造や城内の建物群に加え戦国期の上層クラスの武士の生活や基層信仰まで知ることができ、きわめて重要な城跡である。本稿は宮崎城に関わるさまざまな物質資料群を統合して歴史的検討を進める中世総合資料学の立場から検討を進める。検討の結果明らかになったのは以下の諸点である。⑴宮崎城は綿密に設計された南九州を代表する戦国期城郭であり、外枡形や内桝形の組み合わせなど、南九州における戦国期城郭プランの特性と到達点とを示す城跡と位置づけられる。⑵城内には武家屋敷が二十軒以上建ち並び、主郭には主殿・会所的空間、庭園、茶室を備えた覚兼の御殿があった。⑶城主の上井覚兼は計画的かつ継続的に数々の神仏を信仰しており、きわめて多くの時間を信仰に捧げていた。⑷そうした振興の拠点となった寺社は散在的分布を示し、ゆるやかな宮崎城下町の外縁部を構成した。⑸宗教センター機能の集積度が象徴した宮崎城下町の都市機能の集積度の低さは、都市機能が城と寺社とを核とした広い地域に分散・分立し、それらのゆるやかな結合によって、都市的雰囲気をもった場を成り立たせていた城下町構造と評価できる。⑹これは卓越した都市的空間的な凝集を指標とした畿内・東海型の城下町とは異なった新たな類型の戦国期城下町像を提示する。⑺宮崎城下町の都市的集積を阻んだ要因には分散・分立した寺社も要因のひとつであり、覚兼の信仰そのものも、そうした中世的社会的構造に大きく規定されたものであった。

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https://t.co/rqIrwKdj64 「戦国期の城下町構造と基層信仰 上井覚兼の宮崎城下町を事例に」千田嘉博先生の論文。 ネットで読めるとはありがたや。

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