著者
平川 南
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.133, pp.317-350, 2006-12-20

道祖神は、日本の民間信仰の神々のうちで、古くかつ広く信じられてきた神の代表格である。筆者は古代朝鮮の百済の王都から出土した一点の木簡に注目してみた。王宮の四方を羅城(城壁)が取り囲んでおり、木簡は羅城の東門から平野部に通ずる唯一の道付近にある陵山里寺跡の前面から出土した。木簡は陽物(男性性器を表現したもの)の形状を呈し、下端に穿孔もあり、しかも「道縁立立立」という文字が墨書されていた。おそらく六世紀前半の百済では、王京を囲む羅城の東門入り口付近に設置された柱に陽物形木簡を架けていたのであろう。日本列島では、旧石器時代から陽物形製品は、活力または威嚇の機能をもち、邪悪なものを防ぐ呪術の道具として用いられていたとされている。現在各地の道祖神祭においても、陽物が重要な役割を果している。古代においても、七世紀半ばの前期難波宮跡および東北地方の多賀城跡から出土した陽物形木製品は、宮域や城柵の入り口・四隅で行われた古代の道の祭祀の際に使用されたと考えられる。七世紀から一〇世紀頃まで「道祖」は、クナト(フナト)ノカミ・サエノカミという邪悪なものの侵入を防ぐカミと、タムケノカミという旅人の安全を守る道のカミという二要素を包括する概念であった。陽物形木製品を用いた道の祭祀は都の宮域や地方の城柵の方形の四隅で行われてきたが、一〇世紀以降、政治と儀礼の場の多様化とともに実施されなくなったと推測される。そして、平安京の大小路や各地の辻(チマタ)などに木製の男女二体の神像が立てられ、その像の下半身に陽物・陰部を刻んで表現し、その木製の神像が道祖神と呼ばれるようになったのである。近年の陽物形木製品の発見とその出土地点に着目するならば、道祖神の源流を古代朝鮮・日本における都城で行われた道の祭祀に求めることができるであろう。

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