著者
榎村 寛之
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.134, pp.27-46, 2007-03-30

宝亀三年(七七二)、光仁天皇の皇后井上内親王が天皇を呪誼した罪で廃された。この事件は有名ではあるが、これまでは単なる政治闘争の一形態として理解されてきた。先帝で、井上の姉妹の称徳天皇は、女帝であることを除けば、最も律令制的な手続きを踏んで即位した天皇であった。しかも皇后的な権威をも有し、武力で復位しており、さらに出家者であったため仏法主導の元で神々が王権を守護するというイデオロギーで支えられていた。彼女は権力そのものの象徴であり、男女を超え、律令体制下で天皇権力の専制性を究極にまで押し進めたと理解できる。光仁天皇・井上皇后段階の政治課題は、天皇を、どのように律令体制下に位置づけなおすか、ということであった。しかし光仁天皇は、聖武天皇の娘である井上の婿として即位しており、その没後には、井上が皇太后臨朝、または即位する可能性があった。そして井上には、元・斎王という経歴があり、伊勢神宮と深い関係を持っていた。井上の皇后在位期に、斎王が未定のままで称徳朝に途絶していた斎宮が造営されたが、この斎宮の、斎王の住む内院は、一つの区画の中で塀によって区分された生活空間と儀礼空間で構成されており、周辺に未整理の付属施設を伴った宮殿的な施設であった。続く桓武天皇段階の斎宮では、官衙区画を構成する方格地割の設計が優先され、内院は区画の中に組み込まれる。この改造では、長岡京の造営を意識しつつ、儀礼環境の整備、確立と継承など、斎王の権威より斎宮の都市化、定型化を押し進めたもので、「システムとして受け継がれるべき斎宮と斎王」へと転換したと考えられる。このように井上は「元・斎王」の皇后として、伊勢神宮を背景に特殊な権力を有しており、もし即位することがあれば、再び聖俗混交した専制王権が復活する可能性が高かった。井上廃后事件は、こうした「皇后」「女帝」「斎王」の権力を無化するために行われたイデオロギー闘争だったのである。

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井上内親王については『あの』父親と『あの』妹がいたから、結果的に皇后登極後になってから彼女自身の意思や人品うんぬんをすっぽかして『あの』父娘のようになると危険視されてしまったのだという主旨のこちらの論文が分かりやすかったです https://t.co/lCDg1q02Lm
https://t.co/DTTrHSSu2q 元・斎王井上内親王廃后事件と八世紀王権の転成(第Ⅰ部 王権論) よんでる
井上内親王が称徳天皇と同様の聖俗混交権力になる事を阻止した政変(権力争い)により、原則として女帝が誕生し得ない王権となったという主張。 ※女帝が誕生しないと、必然的に「男系継承」が続く事になる。 榎村寛之「元・斎王井上内親王廃后事件と八世紀王権の転成」 https://t.co/QuaNR7VHEc

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