著者
谷川 章雄
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.169, pp.325-351, 2011-11-30

江戸の墓誌は、一七世紀代の火葬墓である在銘蔵骨器を中心にした様相から、遅くとも一八世紀前葉以降の土葬墓にともなう墓誌を主体とする様相に変化した。これは、一七世紀後葉と一八世紀前葉という江戸の墓制の変遷上の画期と対応していた。こうした墓誌の変遷には、仏教から儒教へという宗教的、思想的な背景の変化を見ることができる。将軍墓の墓誌は、少なくとも延宝八年(一六八〇)に没した四代家綱に遡る可能性がある。将軍家墓所では、将軍、正室と一部の男子の墓誌が発掘されており、基本的には石室の蓋石に墓誌銘を刻んだものが用いられていた。将軍家墓誌は、一八世紀前葉から中葉にかけて定式化したと考えられる。大名家の墓誌は、長岡藩主牧野家墓所では一八世紀中葉に出現し、その他の事例も一八世紀前葉以降のようである。石室蓋石の墓誌の変遷は、一八世紀後葉になると細長くなる可能性があり、一九世紀に入ると、墓誌銘の内容が詳しいものが増加する。林氏墓地などの儒者の墓誌は詳細なものが多く、誌石の上に蓋石を被せた形態のものが多く用いられていた。林氏墓地では、墓誌の形態、銘文の内容や表現は一八世紀後葉に定式化し、一九世紀に入る頃に変化するようであった。林氏墓地の墓誌は、享保一七年(一七三二)没の林宗家三世鳳岡(信篤)のものが最も古いが、儒者の墓誌はさらに遡ると思われる。旗本などの幕臣や藩士などの土葬墓にともなう墓誌は、一八世紀後葉以降一九世紀に入ると増加するが、これは墓誌が身分・階層間を下降して普及していったことを示すと考えられる。一方、幕臣や藩士などの墓にある没年月日と姓名などを記した簡素な墓誌は、被葬者個人に関わる「人格」を示すものとして受容されたものであろう。このような江戸の墓誌の普及の背景には、個人意識の高まりがあったように思われる。ただし、江戸の墓誌に表徴された個人意識は、武家や儒者など身分・階層を限定して共有されるものであった。

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