著者
関根 達人 榎森 進 菊池 勇夫 中村 和之 北野 信彦 深澤 百合子 谷川 章雄 藤澤 良祐 朽木 量 長谷川 成一 奈良 貴史
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

中世・近世の多様な考古資料と文献史料の両方から、津軽海峡・宗谷海峡を越えたヒトとモノの移動の実態を明らかにすることで、歴史上、「蝦夷地」と呼ばれた北海道・サハリン・千島地域へ和人がいつ、いかなる形で進出したかを解明した。その上で、「蝦夷地」が政治的・経済的に内国化されていくプロセスを詳らかにし、そうした和人や日本製品の蝦夷地進出が、アイヌ文化の形成と変容にどのような影響を与えたか考察を行った。
著者
谷川 章雄
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.169, pp.325-351, 2011-11-30

江戸の墓誌は、一七世紀代の火葬墓である在銘蔵骨器を中心にした様相から、遅くとも一八世紀前葉以降の土葬墓にともなう墓誌を主体とする様相に変化した。これは、一七世紀後葉と一八世紀前葉という江戸の墓制の変遷上の画期と対応していた。こうした墓誌の変遷には、仏教から儒教へという宗教的、思想的な背景の変化を見ることができる。将軍墓の墓誌は、少なくとも延宝八年(一六八〇)に没した四代家綱に遡る可能性がある。将軍家墓所では、将軍、正室と一部の男子の墓誌が発掘されており、基本的には石室の蓋石に墓誌銘を刻んだものが用いられていた。将軍家墓誌は、一八世紀前葉から中葉にかけて定式化したと考えられる。大名家の墓誌は、長岡藩主牧野家墓所では一八世紀中葉に出現し、その他の事例も一八世紀前葉以降のようである。石室蓋石の墓誌の変遷は、一八世紀後葉になると細長くなる可能性があり、一九世紀に入ると、墓誌銘の内容が詳しいものが増加する。林氏墓地などの儒者の墓誌は詳細なものが多く、誌石の上に蓋石を被せた形態のものが多く用いられていた。林氏墓地では、墓誌の形態、銘文の内容や表現は一八世紀後葉に定式化し、一九世紀に入る頃に変化するようであった。林氏墓地の墓誌は、享保一七年(一七三二)没の林宗家三世鳳岡(信篤)のものが最も古いが、儒者の墓誌はさらに遡ると思われる。旗本などの幕臣や藩士などの土葬墓にともなう墓誌は、一八世紀後葉以降一九世紀に入ると増加するが、これは墓誌が身分・階層間を下降して普及していったことを示すと考えられる。一方、幕臣や藩士などの墓にある没年月日と姓名などを記した簡素な墓誌は、被葬者個人に関わる「人格」を示すものとして受容されたものであろう。このような江戸の墓誌の普及の背景には、個人意識の高まりがあったように思われる。ただし、江戸の墓誌に表徴された個人意識は、武家や儒者など身分・階層を限定して共有されるものであった。
著者
山田 慎也 金 セッピョル 朽木 量 土居 浩 谷川 章雄 村上 興匡 瓜生 大輔 鈴木 岩弓 小谷 みどり 森 謙二
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

現代の葬儀の変遷については、整理を進めている国立歴史民俗博物館蔵の表現文化社旧蔵の葬儀写真を順調にデジタル化を進め、約35000のポジフィルムをデジタル化をおこなった。昨年度、さらに追加の資料が発見寄贈されたので、デジタル化を進めるための情報整理を行っている。また近親者のいない人の生前契約制度等の調査は、それを実施している横須賀市の具体的な調査を行った。一定の所得水準以下の人だけを対象としていたが、それ以上の人々も希望があり、死としては対応を迫られていることがわかった。また相模原市や千葉市などでも行政による対応がなされ、千葉市の場合は民間業者との連携が行われていることがわかった。また京都や大阪での葬送儀礼や墓の変容については、その歴史的展開の相違から東京という政治的中心とは異なる対応をとってきていることが調査によって判明した。そこでその研究成果について、民間の文化団体と協力して「上方で考える葬儀と墓~近現代を中心に」というテーマで、大阪天王寺区の應典院を会場にでシンポジウムを開催した。当日は人々の関心も高く、約150名ほどが集まり会場は立ち見が出るほど盛況であった。また3月には、葬儀の近代化によって湯灌などの葬儀技術や情報が東アジアに影響をおよぼし、生者と死者の共同性に影響を与えていることを踏まえ、東南アジアの多民族国家における葬儀と日本の影響を把握するため、マレーシアの葬祭業者や墓園業者などの調査を行い、またマレーシア死生学協会と共催で国際研究集会「葬送文化の変容に関する国際比較―日本とマレーシアを中心に―」を開催し、両国のおける死の概念や葬儀産業の役割、専門家教育などについて検討を行った。
著者
岡内 三真 長澤 和俊 菊地 徹夫 大橋 一章 吉村 作治 谷川 章雄
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

平成12年度〜平成14年度にかけて、西域都護府を軸としてシルクロード史の再検討を行った。西域都護府は前漢王朝の西域経営の拠点であり、文献史料によっておよその位置が比定されているが、正確な位置が確認されていない。漢王朝の西域進出はシルクロード形成の重要な要因であり、西域都護府を設置した烏壘城を比定できれば、漢王朝の西域経営の実態を明らかにできる。そこで、西域都護府の位置を確認するため、新疆文物考古研究所との共同による現地調査を実施した。平成12年8〜9月、平成13年5月、平成14年5月に中国新疆ウイグル自治区を訪問し、現地での調査を行った。調査地は西域都護府の所在地と推定される新疆ウイグル自治区輪台県・策大爾郷を中心とした地域であり、烏壘城の可能性が高いと推定される遺跡を踏査し、立地や構造、遺物などを確認した。本格的な発掘調査を行えなかったため、西域都護府の位置を断定するには到らなかったが、遺跡の現状を確認することができ、西域都護府の構造等に関してある程度の予測を立てられた。また比較のためにシルクロードの天山北路、天山南路のルートに沿って遺跡の調査、博物館での遺物の調査を行った。時期は漢代に限定されないが、新疆の都城址に関しての現状確認と資料の収集を実施することができた。2001年には早稲田大学で国際シンポジウム「甦るシルクロード」を開催し、2002年には日本中国考古学会第8回大会において西域都護府の調査概要を報告し、研究者との意見交換を行った。現在3年間で得られた成果の整理・分析を行い、調査報告およびデータベースの作成作業を進めており、今後の研究の基礎となるデータを提供する予定である。