- 著者
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春成 秀爾
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.175, pp.77-128, 2013-01-31
縄文後期末~弥生前期の三河地方には,4I系と2C系に区別して施した抜歯,一部の男性がつける腰飾り,一部の男女に施した叉状研歯,複数個体の人骨を集積した再葬墓など特色のある習俗が広がっていた。渥美半島~豊川流域の東三河を代表する吉胡貝塚と伊川津貝塚の墓地で埋葬してある人のうち,L型式の腰飾りをつけた人の抜歯は4I系,Y型式の腰飾りとV型式の腰飾りをつけた人の抜歯は2C系に多い。両貝塚で叉状研歯を施した人の抜歯はすべて4I系である。保美貝塚に多いJ型式の腰飾りと抜歯系列との関係は明らかでない。合葬は4I系同士,2C系同士はあるが,4I系と2C系との間には存在しない。吉胡,伊川津,保美貝塚では再葬は2C系の人に顕著であり,合葬した2C系の人同士で血縁関係が考えられる例もある。これらの現象を総合して,4I系はL氏族(仮称)を含むグループ,2C系はY氏族とV氏族(仮称)を含むグループ,L,Y,V,J型式の腰飾りはそれぞれの氏族の長が身につける標章であって,4I系グループと2C系グループとの間には上下の格差があり,腰飾りをつけた人が多いL氏族は,吉胡集団さらには東三河の諸氏族のなかで最上位を占めていたと推定する。すなわち,東三河は二つのグループ,四つ以上の氏族によって構成される社会であり,吉胡集団,なかでもL氏族は東三河で部族的結合の中心的な役割をはたしていたと考える。4I系グループと2C系グループの数はほぼ1対1である。しかし,それぞれのグループ内の男女の割合は,吉胡貝塚と伊川津貝塚ではほぼ1対1であるのに対して,保美貝塚では4I系では女が多く,2C系では男が多い。これを二つのグループへの帰属になんらかの規制が加わった結果とみるならば,それぞれを半族とみて東三河に双分組織の存在を想定することが可能である。