著者
土方 久 Hisashi HIJIKATA
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.137-171, 2004-07

「16世紀における複式簿記の風景」を見事に描写する木版画がある。1585年に製作された木版画。標題は『商業の寓話』(" Allegorie des Handels" )。彫刻はAmman, Jost,図案はNeudörfer, Johann によって製作された木版画である。画1を参照。すでに,筆者がこの木版画の断片に出会ったのは,ほぼ40年も前。ドイツ簿記の歴史を克明に跡付ける古典ということで,1913年にPenndorf, Balduin によって出版される著書『簿記の歴史』(" Geschichte der Buchhaltung" ,Leipzig.)の復刻版を入手してからである。ただの好奇心から入手したにすぎなかったためか,それとも,14世紀,15世紀の商人の帳簿の原文と16世紀の教科書の原文を織り混ぜた難解な文章に,筆者が恐れをなしたためか,この文章を本格的に読むことはなかったが,表紙の標題ばかりか,各章の見出しに飾られる挿し絵の商業活動には,大いに興味を覚えたものである。この挿し絵には,画像から憶測するに,「帳簿に記録する事務員」,「金貨,銀貨の金銭を確認して,櫃に収納するか,文書に記録する商人と使用人」,「帳簿に記録する事務員」,「金貨,銀貨の金銭を確認して,袋に詰め込む商人と使用人」が木版画に組込まれる韻文と共に描写される。しかし,あくまで挿し絵,これが木版画の断片であるとは思いもしなかったものである。ところが,筆者がこの木版画に再び出会ったのは,偶然というか,10年ほど前。筆者は19世紀のドイツ簿記に取組み始めたのだが,いつしか「ドイツ簿記の16世紀」にはまってしまい,ことあるごとに参考にしたのが,さらに,16世紀に出版される印刷本の資料を整理して,年表を作成しようと参考にしたのが,1975年に「英国勅許会計士協会」(Institute of Chartered Accounts inEngland and Wales)によって編纂される目録『会計資料の歴史目録』("Historical Accounting Literature",London.)。表紙の裏側,見開き両面の淡い黄色地に装飾として,これまで挿し絵としか思っていなかった画面が印刷される。この画面には,筆者が興味を覚えた挿し絵の商業活動がパノラマのように描写されるではないか。画面の群像から憶測するに,商人の館に働く商人,事務員,使用人,作業員,飛脚,異国から商業取引に訪れる商人まで,まさに「商人の館」での活況が描写される。機会あるごとに幾度となく,この目録は参考にしたというのに,筆者の注意力が散漫であったためか,これに全く気付かなかったことは不思議といえば不思議である。このスケールの大きい木版画に出会って,筆者は改めて興味を覚えたものである。しかし,表紙の裏側,見開き両面の装飾でしかないためか,木版画の上部の画面,左端と右端の画面は切断,削除される。それだけに,この木版画の全貌を見てみたい,この木版画に組込まれる「韻文」を読んでみたいとの想いに駆られたものである。商人の館の活況に加えて,木版画に組込まれる韻文には,商業取引の信条ばかりか,帳簿の記帳技法が示唆されるので,16世紀の商業の風景,はては複式簿記の風景を想像しうる,またとない木版画のようであるからである。そのために,「ドイツ簿記の16世紀」に取組んでいる筆者としては,まずは,木版画が,何時,誰によって製作されたか,どこに所蔵されるか,どうしても知りたいとの想いを馳せようというものである。しかし,筆者の日本の研究仲間はもちろん,筆者のドイツの研究仲間,ドイツの大学図書館に問い合わせるなど,八方手は尽くしてみたが,期待するような回答はない。諦めかけたところで,1989年にYamey, Basil S. によって出版された著書『芸術と会計』("ART & ACCOUNTING", New Haven & London.)に収録される旨,日本でも入手可能である旨,教示された。まさに燈台もと暗しである。早速に取り寄せて見るに,また,Yamey の解説文を読むに,1585年に,彫刻はAmman,図案はNeudörfer によって製作された木版画。ドイツはニュルンベルクで製作されたというのに,収録されたのがイギリスの著書であるためか,それとも,「大英博物館」に所蔵される木版画を参考にしたためか,英文の標題の『商業の寓話』("Allegory of Commerce")である。しかも,この解説文を読んで,さらに,木版画の原画まで捜し求めると,Yameyによって紹介される木版画も,まだ,木版画の上部と下部の画面,左端と右端の画面が切断,削除される。実際には,切断,削除される木版画の上部と下部の画面,左端と右端の画面を見るに,さらに,文章が画面の縁取りとして組込まれる。画1と画3を参照。このようにして,ほぼ40年の間,筆者が捜し求めた木版画にやっと出会ったわけであるが,「商人の館」での活況が描写された画面は,わずか,木版画の下段,3分の1の画面にすぎない。切断,削除された木版画の上部の画面,左端と右端の画面を見るに,さらに,切断,削除される木版画の上部と下部の画面,左端と右端の画面を見るに,どうしてどうして,予想したよりも,実にスケールの大きい木版画の全貌に驚顎を覚えたものである。そこで,筆者なりに憶測しながら,この木版画の全貌を俯瞰することにする。木版画の上段,3分の1の画面。画面の中央に,商業と商人の守護神,ギリシァ神話の「ヘルメース」(Hermes)ないしローマ神話の「メルクリウス」(Merker)が描写される。両側はヨーロッパの商業都市の紋章を付された盾で飾られる。守護神の左手に持つのは,2匹の蛇がからまる杖,右手に持つのは,秤となる天秤棒の挺子である。天秤棒は,「貸借平均原理」を示唆する「天秤の両皿が比較されて,均衡する帳簿締切では,間違いはない」(Die Wag sich sein vergleichen thut /Im Bschlusz einer Bilanza gut)の標記で飾られる。さらに,天秤棒の左側,秤の皿が繋がれる3本の索ないし鎖に架かるのは,「借方(彼は支払うべし=私に借りている)」(DEBET,DEBET NOBIS,DEBET MIHI)の標記を付される巻軸。この巻軸に繋がれる秤の皿には,1冊の帳簿が載せられる。これに対して,天秤棒の右側,秤の皿が繋がれる3本の索ないし鎖に架かるのは,「貸方(彼は持つべし=私に貸している)」(DEBEO EGO,DEBEMVS NOS,DEBET HABERE)の標記を付される巻軸。この巻軸に繋がれる秤の皿にも,1冊の帳簿が載せられる。両者の皿に繋がれる1本の索ないし鎖が架かるのは,「情況」(CIRCVM STANTLE)の標記が付される標注,噴水の水盤の中心にそそり立つ標柱が支える1冊の帳簿。この帳簿は「仕訳帳」(ZORNAL)の標記を付される。秤の左側の皿に繋がれる索または鎖には,「債務者(借主)」(DEBITOR)の標記を付される巻軸が架かる。これに対して,右側の皿に繋がれる索または鎖には,「債権者(貸主)」(CREDITOR)の標記を付される巻軸が架かる。したがって,秤の両側の皿に載せられる2冊の帳簿は,仕訳帳から転記される「元帳」,木版画に組込まれる韻文から憶測するに,「金銭帳」(Schuldbuch)と「商品帳」(Capus)ではなかろうか。画4を参照。したがって,木版画の上段,3分の1に描写されるは,帳簿の種類,記録技法から,まさに複式簿記の原理,原則を想像させる画面である。木版画の中段,3分の1の画面。画面の上方に,港湾に浮かぶ数隻の船舶,この間を往来する数隻の艀,船団を組んで,海路,商業取引に乗り出す光景が描写される。これに対して,画面の下方には,商品を荷樽に詰め込んだり梱包して,荷駄を準備して,馬車に積載する作業員,隊商を組んで,陸路,商業取引に乗り出す光景が描写される。さらに,これを背景に,中央には噴水の水盤。噴水の水盤の側面は,財産の種類,まずは,「現金」(PRESENS PECVIA)に始まり,「債権」(DEBITORES),「羊毛と紡錘毛」(LANE ET VELLERA),「毛織物と絹織物」(PANNI ETSERICA),「果実」(ETALLA),「香辛料」(AROMATA),「銀器」(ARGENTEAVASA),「計量器」(CLINODIA),「小麦」(RES FRVMENTAR),最後に「家財」(MOBILA BONA)の標記を付される。噴水の水盤の縁は,「資本の投下・回収」を示唆する「この噴水から流れ出るのは,この商業の結果(損益)と元金(資本金)」(Aus diesen Brunnen fliessen thut / Dess Handels Bedchlusz und Haubtgut)の標記で飾られる。画5を参照。したがって,木版画の中段,3分の1に描写されるは,海路,陸路の商業取引に乗り出す光景と,この商業取引に投下される資本と回収される資本から,まさに複式簿記の背景を想像させる画面である。木版画の下段,3分の1の画面。画面の左側には,画像から憶測するに,「商品の目方を計りながら,値踏みする商人」(3人),「帳簿を前に商談する商人」(3人),さらに,「荷樽を製作する作業員」(1人),「荷樽に詰め込まれた商品を取出す商人と使用人」(2人),「商品を背に運び出す使用人」(1人),「帳簿に記録する事務員」(1人),「文書を作成する事務員」(1人),計12人の商業活動が描写される。さらに,画面の左端には,商業を守護する女神が描写される。女神の足元は帳簿と「貸借関係」(OBLIGATIO)の標記で飾られる。画6を参照。画面の中央には,まずは,画面の上方に描写される,「秘密の帳簿」(SECRETORVMLIBER)の標記を付される収納庫に,「財産目録」(INVENTATIUM)の標記を付される帳簿が保管される。さらに,画像から憶測するに,「商業書簡か手形書簡を事務員に手渡す飛脚」(1人),「財産目録を背に商業書簡か手形書簡を受取る商人」(1人),「文書に記録する事務員」(1人),「商業書簡か手形書簡を持参する飛脚」(1人),「商業書簡か手形書簡を使用人に手渡す飛脚」(1人),「飛脚を出迎える使用人」(1人),さらに,「異国から商業取引に訪れる商人」(1人,2人,2人),計11人の商業活動が描写される。異国から商業取引に訪れる商人の脇腹,足元は,商業取引の信条なのか,「誠実」(INTEGRITAS),「語学力」(LINGVARVM PERITIA),「慎重」(TACITVRNITAS),の標記で飾られる。画面の下方に描写される,足元は財宝に囲まれて王冠を戴く女神は「商業の繁盛」を象徴する。画7を参照。画面の右側には,これまた,画像から憶測するに,「金貨,銀貨の金銭を確認して,櫃に収納するか,文書に記録する商人と使用人」(5人),「宝石,貴石の財宝を前に帳簿に記録する商人と使用人」(2人),さらに,「帳簿に記録する事務員」(1人),「金貨,銀貨の金銭を確認して,袋に詰め込む商人と使用人」(2人),「荷樽に押印する作業員」(1人),「荷造りのために梱包する作業員」(3人),計14人の商業活動が描写される。さらに,画面の左側の左端と対照的に,画面の右端には,これまた,商業を守護する女神が描写される。女神の足元は帳簿と「自由」(LIBERTAS)の標記で飾られる。画8を参照。したがって,木版画の下段,3分の1に描写されるは,「商人の館」で働く計37人もの商人,事務員,使用人,作業員,飛脚,異国から商業取引に訪れる商人まで,まさに商人の館での商業活動から,まさに複式簿記の現場を想像させる画面である。このように,木版画の全貌を俯瞰するに,16世紀における商業の風景,はては複式簿記の風景を想像するのに,またとない木版画である。商人の館での商業活動を想像させるだけではなく,複式簿記の原理,原則,複式簿記の背景,さらに,複式簿記の現場を想像させる画面,まさに16世紀における複式簿記の風景を見事に描写する木版画である。そこで,筆者が取組んでいる「ドイツ簿記の16世紀」をヨリ馴染み易いものにするために,「16世紀における複式簿記の風景」として,まずは,Yamey の解説文,「木版画の解説文」を紹介することにしたい。さらに,木版画の下段,3分の1の画面,商人の館に組込まれる韻文,「木版画に組込まれる韻文」だけでも紹介することにしたい。
著者
佐藤 正弘 サトウ マサヒロ SATO MASAHIRO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.335-351, 2016-03

インターネットが普及し始めた1990年代後半以降、我が国においても「コントロール革命」が起き、消費者の情報コントロール力が増大している。Shapiro(1999)によれば、コントロール革命とは、情報のコントロール力が政府、企業、そしてメディアから個人である消費者に移行したことを意味する。たしかにインターネットが普及する以前は、情報のコントロール力を握っていたのは政府、企業、そしてメディアであり、我々消費者たちは彼らが発信する情報を一方的に受信するだけの受け身の存在であった。しかし、インターネットの登場により、我々消費者も能動的に情報を発信することが可能となり、以前のようにただ情報を受信するだけの存在ではなくなってきた。例えば、近年では製品・サービスに不具合などがあった場合、消費者はtwitterやFacebookなどのSNS上で簡単にその情報を発信することが可能である。最近では、カップ焼きそば「ぺヤング」の中にゴキブリが混入していたことをtwitter上にアップした消費者のツイートが拡散したことによって、製造元のまるか食品が「ぺヤング」の販売中止を決定した。このように、消費者がインターネット上に発する情報が、企業の売上や経営などに多大な影響を与える時代、それがコントロール革命によってもたらされた現代の情報化社会である。そして、日本でコントロール革命が起きていることを知らしめた最初の事件は、1999年に起きた東芝クレーマー事件である。この事件によって、企業は消費者の苦情対応の重要性を痛感させられたのである。従来であれば、消費者が製品・サービスに不満を持って企業に苦情を言い、その対応が悪かったとしても、その情報は消費者の周囲の人々にしか拡散することはなかった。しかし、コントロール革命後の社会では、インターネットを通じてこれらの情報が簡単に日本中あるいは世界中に拡散してしまうようになった。そこで、企業は従来よりも苦情対応に細心の注意を払う必要に迫られ、苦情マネジメントの重要性が高まっている。しかし、苦情マネジメントに関する先行研究を振り返ってみても、苦情行動や苦情対応に対する研究は存在するものの、東芝クレーマー事件のような情報化社会を視野に入れた苦情マネジメントモデルは存在しないのが現状である。そこで、本稿の目的は、近年このように重要性が高まっている苦情マネジメントについて、2種類のVoice行動を考慮した新たなモデルを提案し、情報化社会の苦情マネジメント研究に貢献することである。本稿では、まず2章にて日本でのコントロール革命の契機と言われる東芝クレーマー事件について、その概観を整理し、インターネットの特性についても言及する。その後、2章では、東芝クレーマー事件、小林製薬、スターバックス・コーヒー、そして米マクドナルドの事例をもとに、2つのVoiceを考慮した苦情マネジメントモデルを提案する。最後に、4章では、本稿のまとめと今後の課題について述べることにする。
著者
西野 宗雄 ニシノ ムネオ NISHINO MUNEO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.35-86, 2015-03

私は本稿(1)において次の3つの論題を考察し、また一つの新しい仮説を提示する。第1。私は前稿(2)において2014年世界同時不況(仮説)を提示したが、この仮説は2014年度末の時点でどこまで証明できるのか、あるいはできないのか。これが第1の論題である。第2。2014年後半に発生した原油価格の急落が日本のような石油消費国側の国民経済に及ぼす影響とはどのようなものとして理解できるのか。これが第2の論題である。第3。日本銀行は2%インフレ目標値の達成を最優先する異次元金融緩和政策を実施しているが、この政策の効果、副作用、弊害とはどういうものであるのか。これが第3の論題である。最後に残された課題を提示しておきたい。私の判断では、2015年世界経済論議のもっとも重要な論点の一つは、2015年中に「逆オイルショック」の発生可能性はあるのか、また世界各国における同時的な生産の大幅な収縮の発生可能性、すなわち世界同時不況の発生可能性の現実性への展開はあるのかどうか、というものである。私は、現実の世界経済の探究作業を進めるうえで、この世界同時不況の発生可能性論こそ有用な仮説と考えている。そこで、改めて、2015年世界同時不況(仮説)、あるいは14年と15年を有意味に連続した期間としたうえで立てられる2014-15年世界同時不況(仮説)を提起しておくことにする。
著者
土方 久 Hisashi HIJIKATA
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.1-42, 2007-12

筆者が「ドイツ簿記の16世紀」に想いを馳せて,複式簿記の歴史の裏付けを得ながら,その論理を解明するようになったのは,いつも筆者の脳裏から離れなかった問題,会計制度,会計理論と「複式簿記」の関わりを解明したかったからである。本来ならば,さらに,17世紀から19世紀までのドイツ簿記を解明してから,この問題に立ち向かわねばならないのかもしれない。しかし,「ドイツ簿記の16世紀」を解明してきたところで,そこまで取組むだけの時間は,筆者にほとんど残されてはいない。そのようなわけで,筆者がこれまでに模索してきた卑見だけでも披瀝しえたらということで,この問題を整理しておくことにしたい。まずは,「会計」と「複式簿記」の関わりであるが,Littleton, Ananias Charlesが表現する有名な言葉を想起してもらいたい。「光は初め15世紀に,次いで19世紀に射した。15世紀の商業と貿易の発達に迫られて,人は帳簿記録を『複式簿記』(double-entry bookkeeping)に発展せしめた。時移って19世紀に至るや,当時の商業の飛躍的な前進に迫られて,人は複式簿記を『会計』(accounting)に発展せしめた」という例の言葉である。複式簿記については,世界に現存する最初の印刷本が,Pacioli, Lucaによって出版されたのが15世紀,さらに,「産業革命」がヨーロツパ諸国に波及したのが19世紀,この歴史事実ないし経済背景が意識されてのことであるにちがいない。15世紀以降は経済覇権が移行するに伴い,複式簿記が世界の各国に伝播されて,19世紀以降は産業構造が変化するに伴い,複式簿記と関わりながら,会計へと進化したことによって,会計理論,会計制度が想像ないし創造されてきたからである。商業から工業へと移転していく産業構造の変化,特に製造業,鉄道業などが必要とする固定資産の増大は,「資産評価」の問題を引起こさずにはおかない。そればかりか,企業形態の変化,特に資本集中を容易ならしめる株式会社の急増は,「報告責任」はもちろん,「配当計算」の問題を引起こさずにはおかない。事実,筆者が知るかぎりでは,近代会計学の父であるSchmalenbach, Eugenによって出版される大著『動的貸借対照表論』("Dynamische Bilanz",Leipzig. / Köln und Opladen.)が,そうであるように,ドイツでは,「会計」を意味するのは「貸借対照表論」(Bilanzlehre)。「貸借対照表」の標題を表記する印刷本が出版されるようになるのは,19世紀の末葉,たとえば,1879年にScheffler, Hermannによって公表される論文「貸借対照表について」("Ueber Bilanzen", in: VIERTEL JAHRSCHRIFT FÜR VOLKSWIRTSCHAFT, POLITIKUND KURTURGESCHICHTE, Bd.LXII, S.1-49.)を初めとして,1886年にSimon, Herman Veitによって出版される印刷本『株式会社と有限責任会社の貸借対照表』("Die Bilanzen der Aktiengesellschaften und der Kommanditgesellschaften auf Aktien", Berlin.)からである。したがって,世界の各国に伝播されて,展開かつ発展された「複式簿記」を包摂して,資産評価,報告責任,配当計算の問題に対応しうる「会計」へと進化したわけである。進化することによって,会計理論,会計制度として展開かつ発展されるようになったわけである。もちろん,進化したからといって,複式簿記が退化してしまったわけではない。したがって,複式簿記を包摂して進化したとするなら,複式簿記から「会計」として進化したというよりも,複式簿記から「複式簿記会計」として進化したというべきであるのかもしれない。そうであるとしたら,複式簿記から「複式簿記会計」へと進化する,まさに接点にある問題は「年度決算書」。いつから作成することが規定されたか,どのように作成されたかである。したがって,会計制度,会計理論と「複式簿記」の関わりを整理するとしたら,「年度決算書」と複式簿記の関わり,この問題から解明しなければならない。そこで,「年度決算書」であるが,世界で最初に法律に規定されたのは,1673年の「フランス商事王令」(Ordonnance de Louis XIV pour le Commerce)によってである。破産,特に詐欺的な破産の横行に対抗するために,したがって,債権者を保護するために,すべての商人は「商業帳簿」(Livres et Registres)を備付けねばならない。さらに,普通商人(Marchand)に限定して,隔年でしかないにしても,「財産目録」(Inventaire)を作成しなければならない(第III章第8条)。さらに,フランス商事王令を模範に,1807年の「フランス商法」(Code de Commerce)によっても,すべての商人は「商業帳簿」を備付けねばならない。しかし,普通商人に限定するのでもなく,隔年でしかないのでもなく,すべての商人(Commerçant)は,毎年,「財産目録」を作成しなければならない(第I編,第II章第9条)。したがって,年度決算書としては,財産目録を作成することが規定されたのである。
著者
西野 宗雄 ニシノ ムネオ NISHINO MUNEO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学商学論集 (ISSN:02863324)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1-35, 2013-12

2013年10月1日安倍首相は現行消費税率(5%)の8%への引き上げ(14年4月実施)を決定した。様々な立場の人たちが2013年10月現在にまで至るまでに消費増税の是非について見解を開陳してきた。私は、消費税はそのうちにどのような軽減措置などを導入してもいわゆる逆進性を解消できない形態の税制とみており、実質的な税負担の社会的な平等や公平の観点を擁護する立場から、現行の消費税制度それ自体を現行の行財政の変更を前提に廃止するべきものだと考えている。それゆえ、消費税増税は当然不適切であると考えていることは言うまでもない。ちなみに、消費税増税は富裕者層の税負担も強化する効果があるという説について批評するなら、その効果はその限りで否定できないのであるが、しかし富裕者層の税負担の増大をはかることを是とするなら、所得累進性をもつ所得税率体系の修正こそがその趣旨に最適である。本稿の第1の作業はこれらの論点のうち今回の消費税増税の目的や意義などを巡る側面を批判的に整理し、消費税増税を回避するための諸方策に言及することである。その第2の作業は、今日的な内外の社会経済環境の中で消費税増税が惹起する国民経済への悪影響について一定の判断を提示することである。消費税増税が国内の経済事情からみて景気の減退をもたらす可能性は非常に強い。この点は消費税増税に賛成する側も反対する側からも大方支持されているようである。だからこそ総額5兆円の消費税増税対策が出てきたのである。しかしこの対策はまったく的を外しているし、この対策が消費税率引き上げ以上の賃金引き上げをなんら保障していない。それゆえ、賃金デフレ、賃金停滞の下での消費税増税の実施は、それに起因した大衆の消費購買力の削減や停滞を契機とする景気減速をもたらす可能性は大きいと言わなくてはならない。だがそれ以上に、私の考えでは、消費税増税は特に海外経済事情の観点からみて景気の悪化を加速する可能性が強いという点でもまことに愚策である。というのも、私は今夏以来、2014年に世界経済は同時不況に陥る公算が大きいという仮説を立ててその動向を観察してきたのであるが、この公算が現実化する諸条件が時間の経過とともに形成されているからである。消費税増税の14年4月実施による日本の景気減速は世界経済を縮小させる一因であるとともに、この増税は世界不況に巻き込まれた日本の産業社会に大幅な景気減退など倍加された災厄をもたらし、多くの住民を苦境に追いやることになると、思念できるからである。本稿では第1章で第1の作業を行い、第2章で第2の作業を行う。