- 著者
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浅山 龍一
- 出版者
- 創価大学
- 雑誌
- 英語英文学研究 (ISSN:03882519)
- 巻号頁・発行日
- vol.27, no.2, pp.27-47, 2003-03
以上、筆者は、まずFranklinの『自伝』とTwainの『トム・ソーヤー』の中に見られる主人公たちの類似点を追ってみた。そして、(1)家庭環境、宗教観、合理主義思考、(2)創造性、友情、ヒロイズム志向等の点において、トムがFranklinにとてもよく似ていることを示した。また、Twain自身の生い立ち、環境がFranklinに似ていることも示しておいた。次に、『トム・ソーヤー』が発表されるまでに書かれた短編において、TwainがしきりにFranklinに言及し、茶化していることを紹介した。そのFranklinへの批判はトム・ソーヤー的(=Twainの)視点で描かれているのだが、どうも、Franklin+(少し過度の)ヒロイズム=トム・ソーヤーの感がするのである。Twainは(トムに代わって?)、Franklinがとりすまして(格言を言うなど)賢者ぶっているところを批判するのであるが、そのFranklin自身のとりすました、その場しのぎの態度が、トムが日頃おばさんや学校の先生に詰問されて言い逃れするさまとよく似ているのだ。Twainは明らかにFranklinを意識しながら、トム・ソーヤーを生み出したと思われる。そして、TwainがFranklinを攻撃するとき、トム(=Twain自身)を追いつめるような親近感があり、けっこう楽しんで攻撃しているのではないかと思われる。しかも、相手は米国史上の超大物なのである…。Twainは『トム・ソーヤー』を発表して以降も、Franklinという人物を意識しながら作品を書いている感がある。それはとくに『アーサー王宮廷のヤンキー』(1889年刊)の中に強く感じられるのだが、詳細については稿を改めて書くことにしたい。