著者
江野沢 一嘉
出版者
信州豊南短期大学
雑誌
信州豊南短期大学紀要 (ISSN:1346034X)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.A1-A41, 2002-03-01

論争家としてのミルトンの著作は (1) 第1期 (1641-42)、(2) 第2期 (1643-45)、および (3) 第3期 (1649-60) に分けて考察するのが便利であろう。第1期は Of Reformation in England から An Apology for Smectimnuus にいたる一連の「監督制批判」文書である。第2期は The Doctrine and Discipline of Divorce から Colasterion にいたる一連の「離婚論」文書と言論の自由を主張した Areopagitica である。第3期は The Tenure of Kings and Magistrates から The Ready and Easy Way to Establish a Free Commonwealth にいたる「共和制弁護論」である。拙論では、このうち第1期を特徴づけるミルトンの論争術の特質を彼の宗教的信念との関連において考察する。「監督制批判」文書はおおむね古典修辞学でいう「荘重な文体」(grand style) の見本とも言うべきものではあるが、論理的構造は、透明なものから不透明なものまで、さまざまである。その錯綜した文章構造は、ミルトン以後、イギリス散文の主流をなした「平明な文体」(plain style) とは際立った対照をなし、今日の読者には、少なからず抵抗を感じさせるものであろう。立論の根底には、プロテスタント特有の歴史認識と聖書観が認められる。ミルトンは、この時期、王権に寄生して世俗的権力をほしいままにする監督制に対して仮借なき攻撃の矛先を向けたが、王権自体についてはこれを容認していたと思われる。しかし、0f Prelatical Episcopacy に見られる通り、彼が監督制に対抗する教会統治方式として長老制を支持していたことも明らかである。第1期, ミルトンの思考の中で共存していたこの二つの構想が、第2期から第3期にかけて彼の思想が急速に急進化していく過程で廃棄を余儀なくされたのは、皮肉な成り行きであった。