著者
中里 まき子
出版者
日本フランス語フランス文学会
雑誌
Nord-est : 日本フランス語フランス文学会東北支部会会報 (ISSN:18841554)
巻号頁・発行日
no.3, pp.19-32, 2011-05-25

長年にわたって,ジャンヌ・ダルクを霊感源とする文学作品が数多く創作されてきた.それらを考えるにあたって,ジャンヌ処刑裁判記録の刊行は見落とすことのできない事件である.1840年代に,ジュール・キシュラが裁判記録校訂版を出版したことにより,少女は伝説の領域から歴史的現実の領域へと導き出され,その文学的表象も変化した.とはいえ,1431年の裁判を枠組みとする作品が,裁判記録の忠実な再現を目指すとは限らない.アヌイ,ブレヒト,モールニエなど,20世紀の作家たちは,法廷で追いつめられ,「声」にも見捨てられたジャンヌが,異端放棄を甘受するという筋書きを強調し,定着させた.しかし,裁判記録が伝える彼女の言葉からは,「声」に対する不信を読み取ることはできない.当時,啓示を受ける少女の存在は珍しくなく,ジャンヌの裁判では,彼女が啓示を受けたかどうかではなく,それが神のものか,悪魔のものかが問われていた.つまり,ジャンヌの物語を特徴づける「声」の沈黙は,近代以降の世界観で行われた解釈ということになる.「声に見捨てられたジャンヌ」の原型を,裁判記録に見出すことはできない.その人物像が立ち現れるのは,例えば,ミシュレの『フランス史』第5巻(1841)においてである.ミシュレの著作が後の文学に与えた影響は大きいようで,アヌイは『ひばり』の創作にあたって,裁判の資料としては主に『フランス史』を参照したとされている.しかし,文学的ジャンヌ像の造形を解明するために,ミシュレの著作以上に確実な手がかりとなるのは,ギリシア神話を起源とするアンティゴネーの人物像である.ジャンヌ・ダルクの「束の間の異端放棄」は,死を前にしたアンティゴネーの「最後の迷い」を下敷きにしていると考えられる.裁判記録は,「伝説の少女戦士」に代わる,より現実味を帯びたジャンヌ像を提示するが,同時に,この神話的女性像との比較を可能にした.そして,文学における「ジャンヌ・ダルク現象」をさらに加速したのである.