著者
中里 まき子 NAKAZATO MAKIKO
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.85, pp.69-88, 2009-12

ジャンヌ・ダルクについては,500年以上にわたって数多くの文学作品が創作されてきた。すでに15世紀に,クリスティーヌ・ド・ピザンとフランソワ・ヴィヨンによって少女の功績が詩の中に記されたが,ジャンヌを素材とする作品が増え始めたのはフランス革命以後である。その一部を挙げると以下のようになる1)。シラー『オルレアンの乙女(1801)』,シャルル・ペギーの『ジャンヌ・ダルク3幕劇(1897)』と『ジャンヌ・ダルクの愛の神秘(1910)』,アナトール・フランス『ジャンヌ・ダルクの生涯(1908)』,バーナード・ショー『聖女ジャンヌ(1924)』,ジョルジュ・ベルナノス『戻り異端で聖女のジャンヌ(1929)』,ポール・クローデル『火刑台上のジャンヌ(1939)』,ベルトルト・ブレヒト『ルーアンのジャンヌ・ダルク裁判1431年(1954)』,ジャン・アヌイ『ひばり(1953)』。文学における特権的な素材である以前に,歴史的人物として,キリスト教の聖女として,ジャンヌ・ダルクは世界中で知られる存在となっている。ジャンヌが後世に残したもの,またそれに対する反響の大きさにひきかえ,彼女の生涯は短く,はかないものであった。
著者
中里 まき子
出版者
日本フランス語フランス文学会
雑誌
Nord-est : 日本フランス語フランス文学会東北支部会会報 (ISSN:18841554)
巻号頁・発行日
no.3, pp.19-32, 2011-05-25

長年にわたって,ジャンヌ・ダルクを霊感源とする文学作品が数多く創作されてきた.それらを考えるにあたって,ジャンヌ処刑裁判記録の刊行は見落とすことのできない事件である.1840年代に,ジュール・キシュラが裁判記録校訂版を出版したことにより,少女は伝説の領域から歴史的現実の領域へと導き出され,その文学的表象も変化した.とはいえ,1431年の裁判を枠組みとする作品が,裁判記録の忠実な再現を目指すとは限らない.アヌイ,ブレヒト,モールニエなど,20世紀の作家たちは,法廷で追いつめられ,「声」にも見捨てられたジャンヌが,異端放棄を甘受するという筋書きを強調し,定着させた.しかし,裁判記録が伝える彼女の言葉からは,「声」に対する不信を読み取ることはできない.当時,啓示を受ける少女の存在は珍しくなく,ジャンヌの裁判では,彼女が啓示を受けたかどうかではなく,それが神のものか,悪魔のものかが問われていた.つまり,ジャンヌの物語を特徴づける「声」の沈黙は,近代以降の世界観で行われた解釈ということになる.「声に見捨てられたジャンヌ」の原型を,裁判記録に見出すことはできない.その人物像が立ち現れるのは,例えば,ミシュレの『フランス史』第5巻(1841)においてである.ミシュレの著作が後の文学に与えた影響は大きいようで,アヌイは『ひばり』の創作にあたって,裁判の資料としては主に『フランス史』を参照したとされている.しかし,文学的ジャンヌ像の造形を解明するために,ミシュレの著作以上に確実な手がかりとなるのは,ギリシア神話を起源とするアンティゴネーの人物像である.ジャンヌ・ダルクの「束の間の異端放棄」は,死を前にしたアンティゴネーの「最後の迷い」を下敷きにしていると考えられる.裁判記録は,「伝説の少女戦士」に代わる,より現実味を帯びたジャンヌ像を提示するが,同時に,この神話的女性像との比較を可能にした.そして,文学における「ジャンヌ・ダルク現象」をさらに加速したのである.
著者
中里 まき子
出版者
岩手大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

フランス革命期の反カトリック政策に抗して、信仰を貫いたために処刑されたコンピエーニュ・カルメル会の16人の修道女は、特にフランシス・プーランクのオペラ『カルメル会修道女の対話』(1957年初演)の題材として知られている。しかし、オペラの元となった文学作品の創作や、革命期から現代まで史実が継承されてきた経緯などについて、総合的な研究は試みられていない。そこで2017年度には、下記の方法により、16殉教修道女の表象の変遷を辿り、そこに映し出されるフランスの社会状況を浮き彫りにした。まず、第三共和政期に「フランス革命」が国民の共通の記憶とされ、理想化されたとき、16殉教修道女の存在が革命史から排除されたことを、ジュール・ミシュレ『フランス史』等の読解を通して明らかにした。一方、カトリック世界において16殉教修道女が崇敬の対象となり、その記憶が継承された経緯を探るべく、コンピエーニュ・カルメル会の受肉のマリー修道女が書き残した手記、および16殉教修道女の列福時(1906年)に刊行された書籍等を検討した。その結果、「共和国の歴史」と「カトリックの歴史」は、いずれも客観的なものではなく、19世紀フランスにおける両陣営の対抗関係を反映するものであることが明らかとなった。こうした研究成果を、日本フランス語フランス文学会東北支部大会において「コンピエーニュ・カルメル会殉教修道女の表象とフランス社会」の題目で発表し、論文として支部会誌に投稿した。
著者
中里 まき子
出版者
岩手大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

まず、ジャンヌ・ダルク処刑裁判を題材とする20世紀の文学作品(ジャン・アヌイ『ひばり』(1953)、ベルトルト・ブレヒト『ルーアンのジャンヌ・ダルク処刑裁判1431年』(1954)、ティエリー・モールニエ『ジャンヌと判事たち』(1949)等)を体系的に取り上げ、「ジャンヌ・ダルク処刑裁判記録」をはじめとする歴史資料との比較を試みることにより、各作家の創作の独自性を浮かび上がらせた。続いて、ジョルジュ・ベルナノスがエッセー『戻り異端で聖女のジャンヌ』(1929)において寡黙なジャンヌ・ダルクを提示したことに着目し、言語をめぐる同作家の問題意識との関連性を考察した。