- 著者
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鈴木 哲
- 出版者
- 桜花学園大学
- 雑誌
- 桜花学園大学学芸学部研究紀要 = JSLA (Journal of the School of Liberal Arts) (ISSN:18849865)
- 巻号頁・発行日
- no.13, pp.25-44, 2020-11-30
中島敦(1909-42)は格調高い表現,学識,厭世観を特徴とする東京生まれの小説家で(Kodansha, 1993, p. 1038),1951年以後高等学校国語教科書採用の「山月記」(1942)で知られる。夫人の中島(旧姓橋本)タカ(1909-84)は愛知県碧海郡依佐美村(1906-55)の出身である。本稿は敦が1931年と1942年に依佐美村大字高棚字新池(現安城市高棚町)のタカの生家を訪問したとする従前説を検討, 1933年3月と1942年8月であったことを明らかにする。また, 敦の万葉歌「あをみづら,よさみの原」 (7:1287)への関心,敦が依佐美の「無線電信の高い塔が立っている風景」にあったとする1942年8月のタカ回想を紹介する。タカが東京で33歳の小説家を看取ったのは里帰りの4カ月後である。