著者
並松 信久
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.101-136, 2014-03

賀川豊彦(1888-1960、以下は賀川)は大正期から戦後にかけて活動したキリスト教徒(プロテスタント)の社会運動家である。賀川は、一般的に「友愛」に基づく協同組合主義の提唱者であるとされる。その独創性は、キリスト教の信仰から経済のあり方を再構想した点にある。賀川の組合主義はマルクス主義から批判され続けるが、それに対して友愛主義的な組合論を説き続けた。 賀川はさまざまな組合(労働組合、農民組合、消費組合)の創設に関わった。賀川は独自の経済学を構築したとは言い難いが、独自の経済哲学を論じた。この業績に対する国際的な評価は高いが、国内の評価は低い。しかしわが国において、賀川に関する先行研究は数多くある。なかでもキリスト教という宗教の側面から、組合思想や組合運動史という組合という側面から、そして賀川の社会改良主義的な側面から、数多く取り上げられている。 しかし賀川による組合運動の組織原理は明らかとなっていない。賀川の思想と発想が、時代の潮流から取り残されたとすれば、その組織原理は時代に適合的ではなかったのであろうか。本稿では賀川の思想や発想、そして組合運動は、その実践活動とキリスト教に由来する「自助と共助」にあったことを明らかにした。そして個人と国家の中間に位置する組織のひとつである「組合」において、この自助と共助を発揮し、理想とする社会(世界連邦論にまで拡大する)を形成しようとしたことを明らかにした。賀川の理想は実現に至っていないが、巨大化し複雑化した現代社会において、中間に位置する組織の原理を示唆する賀川の思想は、再考する価値がある。
著者
福井 唯嗣
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.75-100, 2014-03

2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議報告書には、後期高齢者医療制度存続という医療保険制度に関して一つの大きな方針転換があった。現在示されている政府方針には、市町村国保の都道府県単位化による財政基盤強化、被用者保険の後期高齢者支援金について全面総報酬割の導入により節約される国庫負担を財源とする市町村国保支援などがある。本稿では、これらが今後の市町村国保財政に及ぼす影響を、長期推計モデルによって定量的に考察した。 また、後期高齢者医療制度廃止を前提とすれば、現行の保険者間財政調整に代わるさまざまな財政調整が可能となる。本稿では、長期推計モデルを用いた政策シミュレーションにより、それぞれの財政調整が将来における市町村国保の所要保険料に及ぼす影響を推計し、望ましい財政調整のあり方について検討した。 現行制度、とくに前期高齢者納付金(交付金)の下では、高齢化率の低い自治体の保険料を高める一方、地域の医療費の多寡は保険料には反映されない。一方、制度平均の1人当たり保険料と1人当たり給付費によるリスク構造調整を導入した場合には、地域の医療費の多寡は保険料に強く反映されるため、医療費適正化を自治体に促す場合には有効な選択肢であるといえる。
著者
岩﨑 周一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
巻号頁・発行日
no.31, pp.201-230, 2014-03

本稿の課題は、軍事史研究においてややもすれば受動的な存在として扱われがちな地域社会の立場から、兵役と兵站の問題を軸として、近世のハプスブルク君主国における軍隊と社会をめぐる諸関係を逆照射して考察することにある。 近世において増大の一途を辿った兵力需要に対応するため、ハプスブルク王権は支配下の諸地域の諸身分の協力をあおぎ、平民から兵士を募るようになった。改革を重ねる中で、徴募は次第に強制的な色彩を強め、場合によっては地域社会の人口動態や構造を変化させるほどの影響をもたらした。 こうした動きに対し、民衆は徴募逃れや逃亡といった形によって抵抗した。しかし、地域社会においては階層分化が進行しており、上層に属する人々ほど徴募を免れる可能性が大きかった。これに対し下層に属する人々は、徴募を免れる手段をほとんど持たなかったばかりか、領主および都市・村落共同体による、徴募を口実とした「厄介払い」や身代わりの強要に怯えなければならなかった。しかし一方、生活環境が劣悪な地域には、兵役に生活改善のチャンスをみいだす人々も存在した。 兵站に関する負担は、近世になると、しばしば臣民の生活を脅かすまでに重いものとなった。国家や諸身分、そして領主は負担の軽減に一定の努力をみせたものの、十分なものとはならなかった。また、領主は在地権力としての立場から、兵站に関する諸負担を領民を統制する手段として利用した。これは徴募においても同様である。総じて、軍事負担をめぐる問題は、地域社会における領主権力の強化に利用されたといいうるであろう。 ただし、地域社会にとって、軍は一義的に問題をもたらす存在ではなかった。領邦防衛と消費者という二つの役割により、軍は地域社会の構成員として、徐々にその地歩を固めてもいったのである。