- 著者
-
岩﨑 周一
- 出版者
- 京都産業大学
- 雑誌
- 京都産業大学論集 社会科学系列 = Acta humanistica et scientifica,Universitatis Sangio Kyotiensis. Social science series (ISSN:02879719)
- 巻号頁・発行日
- no.31, pp.201-230, 2014-03
本稿の課題は、軍事史研究においてややもすれば受動的な存在として扱われがちな地域社会の立場から、兵役と兵站の問題を軸として、近世のハプスブルク君主国における軍隊と社会をめぐる諸関係を逆照射して考察することにある。 近世において増大の一途を辿った兵力需要に対応するため、ハプスブルク王権は支配下の諸地域の諸身分の協力をあおぎ、平民から兵士を募るようになった。改革を重ねる中で、徴募は次第に強制的な色彩を強め、場合によっては地域社会の人口動態や構造を変化させるほどの影響をもたらした。 こうした動きに対し、民衆は徴募逃れや逃亡といった形によって抵抗した。しかし、地域社会においては階層分化が進行しており、上層に属する人々ほど徴募を免れる可能性が大きかった。これに対し下層に属する人々は、徴募を免れる手段をほとんど持たなかったばかりか、領主および都市・村落共同体による、徴募を口実とした「厄介払い」や身代わりの強要に怯えなければならなかった。しかし一方、生活環境が劣悪な地域には、兵役に生活改善のチャンスをみいだす人々も存在した。 兵站に関する負担は、近世になると、しばしば臣民の生活を脅かすまでに重いものとなった。国家や諸身分、そして領主は負担の軽減に一定の努力をみせたものの、十分なものとはならなかった。また、領主は在地権力としての立場から、兵站に関する諸負担を領民を統制する手段として利用した。これは徴募においても同様である。総じて、軍事負担をめぐる問題は、地域社会における領主権力の強化に利用されたといいうるであろう。 ただし、地域社会にとって、軍は一義的に問題をもたらす存在ではなかった。領邦防衛と消費者という二つの役割により、軍は地域社会の構成員として、徐々にその地歩を固めてもいったのである。