著者
加藤 龍興
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.334-331,1266, 2005-12-20 (Released:2010-03-09)

This article studies a simile of the ocean found in the Yogasastravivarana with a view to comparative research. I research similar similes discovered in Sankara's works, in order to solve the vexed problem of the authorship of the Yogasastravivarana.
著者
奥風 栄弘
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.969-966, 2010-03-20
著者
藤本 晃
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.69, no.3, pp.1019-1026, 2021-03-25 (Released:2021-09-06)
参考文献数
5

仏教の見方では,「我」は永遠不滅の実体ではなく自分の心身を「私」とか「私がいる」などと執着することから生じる誤解にすぎない.それゆえ,仏教では無我という.無我は,執着も無明も全て滅した最後の第四の悟り・阿羅漢果で完全に証得される.しかし,悟りに四段階があるように,無我の証得にも段階があるのではないだろうか.三通りに言い換えられる無我の定型句「これは私のものではない.これは私ではない.これは私の我ではない」が,無我の段階を示すと予想し,検討する.「私のもの」という執着は,悟りの第三段階・不還果で滅し,「私」という執着は,最後の完全なる悟り・阿羅漢果で滅する.では,最後の「これは私の我ではない」は何を意味するのだろうか.筆者は,「悟りもまた我ではない」と了知した解脱智見・滅尽智という正見を意味すると考える.「諸行無常」,「一切行苦」に対して「諸法無我」といわれるのは,有為法のみならず無為法たる解脱・滅を含めた「すべての法が我ではない」のである.