著者
石崎 裕子
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.8, pp.61-70, 2004-08-01

1998年版『厚生白書』で紹介された「新・専業主婦志向」は、「男は仕事と家事、女は家事と趣味(的仕事)」という新たな性別役割分業意識に基づいた20、30代の女性を中心とした専業主婦志向である。パートタイマーとして補助的労働に従事したり、いわゆるキャリアウーマンとして男性に伍して働きながら、家庭と仕事を両立させるくらいなら、経済力のある男性と結婚し、専業主婦として、経済的、時間的に余裕のある生活を送りたいという若い女性たちの選択肢の一つとしての専業主婦願望が、この調査結果から読み取れる。本論では、女性雑誌『VERY』を資料に用いて、女性の生き方の選択肢が曲がりなりにも多様化する中で浮かび上がってきた若い女性たちの専業主婦志向が、どのように描かれているかを明らかにしていく。家庭の経済的基盤を夫に支えてもらい、ランチやお稽古事を満喫する『VERY』に登場する幸福な専業主婦たちの姿は、「新・専業主婦志向」を見事なまでに体現している。
著者
佐藤(佐久間) りか
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.6, pp.45-57, 2002-09-01

本稿は,マスメディアによって形成された"強く自由な主体"としての<女子高生>イメージが,同年代の少女たちのセルフ・イメージにどのような影響を及ぼしているのかを,1999~2000年に杉並区と浜松市で実施した質問紙調査とインタビュー調査の結果をもとに分析したものである。少女たちは,マスメディアの<女子高生g&t;イメージが,一部の「ギャル系」と呼ばれる少女たちによって代表されていると見ており,「女子高生=ギャル系」「ギャル系=援助交際」といった画一的・一面的な捉え方に不満を抱いている者が多い。しかし「ギャル系」の強さ,個性,仲間意識に対する肯定的な意見も多く,「ギャル系」に対する共感の存在も確認された。さらに今の時代に「女子高生であること」にどんなよい点があるかを聞いたところ,「自由気ままで楽しく,流行発信などを通じて社会に対して強い影響力を持てる」という回答が多く見られ,そうした"強く自由な"セルフ・イメージの背景に「ギャル系」への共感があることが示唆された。そこで「ギャル系」情報に特化した雑誌3誌の購読者を非購読者と比較したところ,「ギャル系」へのアイデンティフィケーションが強いと思われる購読者の方が,「女子高生であること」をより肯定的に捉える傾向があり,成人男性に声をかけられたり,お金で誘われたりする率も高く,援助交際をより普遍的な現象と捉えていることが明らかになった。しかし,少女たちは自分たちが謳歌している自由や力を,高校時代だけの期限付きのものとして自覚しており,女性として真に"強く自由な"主体形成には必ずしもつながっていない。彼女たちに「今が人生で-番いいときであとは下り坂」と思わせてしまうジェンダーのありようを問題化していくためにも,これまで成人男性と思春期女子が作り上げてきた<女子高生>言説の生成装置に,成人女性がより積極的に介入していく必要があろう。
著者
丸山 茂
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.8, pp.3-12, 2004-08-01

多様な要因が絡み合う次世代再生産の問題を家族の視点だけから解明することにはもちろん限界がある。そのことをふまえた上で、出生行動に影響する家族慣行の変化を「排他的親子関係」「嫡出性の基礎としての婚姻家族の衰退」「職業生活と家族生活」「世代間の連帯」について考察していくと、以下の事実が明らかになる。現在の出生行動や子育て環境は、婚姻家族規範の強制と動揺の中で、新たな指標も見いだせずに方向性を失った状態にあるということである。「排他的親子関係」は、嫡出家族における父母と子どもという閉じられた関係を子どもの育成の基本とすることを意味している。この排他的親子関係は、子育てのネットワークを社会的に開いていく契機を持たないところに特徴があるが、再編家族や特別養子をとおして、排他性を見直すべき現実が拡大していることがみえてくる。日本社会の強固な嫡出性の原理の存在についてみると、婚姻内で子どもを産むという規範を強いることによって、性行動と生殖行動がライフサイクルの中でいっそう分断され、晩婚化と相まって子どもを産みにくくしているとみることができる。また女性労働の社会的重要性にもかかわらず、職業生活と子育てとを両立させるための社会的な措置が、働くものの具体的なニーズに応じて作られているかも問題であり、フランスとの比較をとおしてみれば、それが不十分であることも明らかである。さらに、世代間の連帯を祖父母と孫との関係でみると、父系性が衰退し、夫方、妻方の双方が孫との関係を親密に形成することが多くなっている。その親密さは、子どものしつけには介入しないという距離を置いた連帯関係となっている。これらの家族慣行の変化をとおして読み取れることは、象徴としての婚姻家族の衰退であり、新しい象徴体系としての家族像が求められているということである。次世代再生産の問題もまた、この文化の革新の中で解明されていかなければならない。
著者
舘 かおる
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.6, pp.85-96, 2002-09-01

本稿は,『高等教育機関における女性学・ジェンダー論関連科目に関する調査報告書(平成12年度開講科目調査)』(2002年3月,国立女性教育会館刊)の「III.調査の概括」を,要約しつつ加筆・再構成したものである。周知のように,同調査は,昭和58(1983)年から国立女性教育会館が実施してきたが,第10回にあたる今回の調査は,これまでの調査方法を見直し,今日の日本における,女性学及びジェンダー論関連科目の課題を明確化するために行われた。報告内容は,まずこれまでの調査方法の変遷を述べ,今回,調査方法を変えたことによるデータ解釈上の意味を特記した。次に本調査が,大学の学務担当者に情報提供を依頼した「学務関係基本調査」と,科目担当教員に従来の調査項目に加えて自由記述を求めた「教員調査」の二種の調査を実施した意図を述べた。「学務関係基本調査」報告では,開講大学数,科目数,科目名と内容,対象学部数,担当者数等を概観し,「教員調査」報告では,教員の専門分野,年代,担当年数,開設年,授業に関わる項目を概観した。さらに,「教員調査」の自由記述から,「女性学・ジェンダー論」に対する見僻を整理し,(1)女性学・ジェンダー論関連科目の現状把握の諸局面として,<開講目的と成果>,<学部と大学院>,<学内での影響>,<必要となる施策>,<副専攻化の必要性>,<学問としての方向性>を取り上げ,(2)女性学・ジェンダー論関連科目の理論化と制度化として,<女性学とジェンダー論の関係性>,<望ましい継承のあり方>,<他国との相違>などについての概括を試みた。今回の調査を通じて,日本の高等教育機関における女性学・ジェンダー論関連科目の実態を量的,賃的に明らかにすることの意義は高く,さらなる課題は,数量的把握を徹底して基本データの精緻化を図ること,女性学・ジェンダー論の教育と研究の問題点を明確化し,課題解決に資することにある事が再確認された。
著者
多賀 太
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.9, pp.39-50, 2005-08-01

近年の社会経済的変化は、これまで女性に比べて安定し画一的だとされてきた男性のライフコースに、新たな「危機」と多様化をもたらした。第1に、雇用労働者の増加と長寿化が、定年後の「第二の人生」への再適応という課題を生じさせた。「現役」時代に企業社会へ過剰に適応してきたために、多くの高齢男性が、定年後の生活への適応に困難を抱えることとなった。第2に、女性の継続的な就労や政府の男女共同参画政策・少子化対策によって、父親により多くの育児責任が求められるようになった。長時間労働を強いられ、育児期の性別役割分業が経済的に合理的な選択になってしまうような雇用労働環境のもとで、多くの父親たちが、仕事と育児の両立をめぐる葛藤を経験するようになった。第3に、経済のグローバル化を背景とした雇用の二極化は、男性が仕事と家庭のバランスをとることを改めて難しくした。会社から「疎外」され、仕事も家族も得られない男性が増加する一方で、中核労働者の男性たちは、依然として企業に取り込まれ、家族と過ごす時間がもてないでいる。さらに、仕事や経済的な悩みでの自殺も増えている。男女平等を促進する立場からは、女性の社会的・経済的エンパワーメントを妨げない方向で、これらの男性の「危機」を克服することが求められる。公的政策と企業の努力によって、男性中核労働者に集中する労働量と賃金を他の人々に割り振ることが望まれる。男性たち自身も、近代の物質主義的=男性的価値を相対化し、家事や地域生活に必要なスキルを身につけ、柔軟な人生設計を行っておく必要がある。エンパワーメントのための生涯学習は、全体的な男性優位の構造と、より複雑で多様な個別の男女の関係性の両方を視野に入れながら進められる必要がある。
著者
南茂 由利子
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.8, pp.71-80, 2004-08-01

アメリカ合衆国の著名な法学者キャサリン・A・マッキノンの提起するフェミニズム理論を検討する。まず、彼女の最重要課題が、セクシュアリティにおける平等であることを明らかにする。マッキノンは、現在のセクシュアリティ概念自体が男性優位社会の構築物であるとして、新たなセクシュアリティ概念の構築を主張するが、その具体的な内容は示さないままである。本稿は、それがマッキノン理論の根本的問題に由来すると捉えて、その克服方法を考察するものである。根本的問題とは、生殖の社会性という視点の欠落と、性別以外の社会的関係の無視である。それらを土台とするマッキノン理論は、「人種」、民族、階級等々の社会関係に規定されているセクシュアリティの現実を変革する具体的ヴィジョンを示すこともできない。男女平等をめざすにあたり、性別を理由とする不公正を正すうえで、セクシュアリティ追究の平等を中心に据える彼女の姿勢は、性別以外の人間の社会的諸関係を捨象したセクシュアリティ中心主義ともいうべきものである。それは、性別に限られない諸関係の中に位置づけられて生きている女性達の現実を打破する思想・運動の中心課題にはなりえない。マッキノンは、私的領域が女性抑圧の温床となることが避けられないとしてその廃止を提起する。それが誤った現状認識に立つ危険な提起であることを、本稿は論じている。ファリダ・アクターを主たる参照先としながら、公・私二領域論によっては社会の構造と人の営みを捉え得ないことと、マッキノンの提起が人の営みを国家が統括する法の監視にさらす危険を孕むことを明らかにする。近代以降広範に浸透した公・私二領域論を克服するためには、人間存在の二重性を再認識し、「個」を社会的に埋没させることのない民主的な社会関係の創造とともに、従来の公・私二領域という二元論を超える新しいイデオロギーの創造が必要とされる。