著者
多賀 太
出版者
大阪府立大学女性学研究センター
雑誌
女性学講演会 (ISSN:18821162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.30-62, 2018-03
著者
多賀 太
出版者
日本性教育協会
雑誌
現代性教育研究月報
巻号頁・発行日
vol.20, no.12, pp.1-5, 2002-12-15

ジェンダー教育への提言
著者
多賀 太
出版者
大阪府立大学女性学研究センター
雑誌
女性学講演会 (ISSN:18821162)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.30-62, 2018-03
著者
多賀 太
出版者
国際ジェンダー学会
雑誌
国際ジェンダー学会誌 (ISSN:13487337)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.8-28, 2019-12-25

女性学に対する男性からのリアクションとして誕生した男性学は,社会構築主義へのパラダイム転換や研究対象と担い手の拡大を伴いながら男性性研究へと発展してきた。本稿は,そうして発展しつつある男性学・男性性研究に特徴的な視点と方法を確認し,そのさらなる射程の拡張と社会的貢献の方途を探る。男性を対象とする一般的な研究と比べた場合の男性学・男性性研究の特徴は,男性の脱標準化,男性性の複数性,ジェンダーポリティクスへの敏感さに見出される。本稿では,男性の多様で複雑な状況を把握する視角としてM・メスナーによる「男性の制度的特権」「男らしさのコスト」「男性内の差異と不平等」を紹介し,それぞれの視角の長短と留意点とともに三者のバランスをとる複眼的アプローチの有効性を主張する。さらに,今日まで約30年にわたって世界の男性性研究の理論的支柱となっているR・コンネルの「ヘゲモニックな男性性」に関する理論を概観し,その特長を,男性による女性支配と男性内の支配との理論的接続,ならびに支配の正統化過程の動態的把握に見出したうえで,その理論的射程の拡張を試みる近年の議論を紹介する。最後に,日本における男性学・男性性研究の課題として,日本社会の独自性をふまえながら男性の多様な側面を描き出し,その成果をフェミニズム理論やジェンダー研究へとフィードバックして接続することを提起する。
著者
多賀 太 天童 睦子
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.119-150, 2013-11-30 (Released:2015-03-25)
参考文献数
147
被引用文献数
2 2
著者
多賀 太
出版者
關西大學文學會
雑誌
關西大學文學論集 (ISSN:04214706)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.177-204, 2020-12-18

本研究は科研費 (18K02429,17H02679) の助成を受けたものである。
著者
多賀 太
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.47-64, 1996-05-20 (Released:2011-03-18)
参考文献数
22
被引用文献数
1
著者
多賀 太 石井 クンツ昌子 伊藤 公雄 植田 晃博
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.7-19, 2023-04-30 (Released:2023-05-31)
参考文献数
24

近年の国際的ジェンダー平等政策では,男性のケア関与に焦点を当て,理想的な男性のあり方としてのケアリング・マスキュリニティ(CM)をキーワードとして用いている.しかし,男性のケア行為参加がジェンダー平等を促進する効果は限定的との先行研究もあり,そもそもCMを構成する諸要素間の関係性に関する十分なエビデンスは得られていない.そこで本研究は,7歳未満の子どもを持つ父親を対象とした調査データを用い,CMの構成要素に関する諸変数で階層別クラスター分析を実施した.その結果,男性たちが,単にCMの程度が高いか低いかの二極モデルでは捉えきれない形で多様化していることが明らかにされた.すなわち,「ケア行為」の頻度が高い男性たちの間でさらに,「ジェンダー観」が非伝統的で「生活の質」も高い「非伝統的男性性」と,「ケアの態度」の程度は高いが「ジェンダー観」は伝統的で「生活の質」が低い「葛藤的男性性」への分化が確認された.
著者
多賀 太
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.93-93, 2000

本書は、「女性兵士問題」「国家と『性暴力』問題」「女性性器手術問題」という、フェミニズムにおいて近年クローズアップされてきた問題を論じた、9人の執筆陣からなる論文集である。第I部から第III部のそれぞれに男性の執筆者が1人ずつ含まれることで、議論により一層の広がりが与えられているように思える。<BR>まず第I部で、軍隊内で男女にまったく対等な処遇を行うかどうかという「女性兵士問題」を題材として、フェミニズムが「暴力」とどのような関わりをもつべきかが議論される。続いて第II部では、「従軍慰安婦問題」と「夫婦間強姦」を題材として、近代国民国家においては十分保障されてこなかった「性暴力を受けない権利」をめぐる議論が展開される。さらに第III部で、「女性性器手術問題」を題材として、「第一世界」のフェミニストたちが「第三世界」の女性の経験を「性暴力」の被害として規定すること自体の「暴力」性についての議論が行われる。最後に第IV部で、編者による議論の総括が行われる。<BR>一見しただけでは無関係にも思えるこれらの問題の背後には、共通するより大きな問いが存在している。すなわち、グローバル化が進行しつつある現代において、フェミニズムは、「性」の違いによって「暴力」に関する異なる経験を強いてきた近代国民国家 (=「ネーション」) とどう関わっていくべきかという問いである。しかし、これに答えるのはそうたやすいことではない。もし、フェミニズムが国民国家の枠を越えて「性」と「暴力」の問題に取り組むべきであるとするならば、他国に暴力を行使する軍隊の存在を前提としてそこでの男女の機会均等を主張することは慎まねばならないし、たとえ国家によって合法化・正当化された営みであっても女性の人権侵害と見なされるならば「国家批判」や異文化への「介入」も必要となってくる。しかし他方で、国家を越えた問題設定は国内での性差別を不可視化させる危険性を伴うし、女性の人権のうち国民国家の枠によってこそ保障されうる側面や、異文化への「介入」にともなう「暴力」性をどう考えるのかという問題も起こってくる。<BR>本書には、この問いに対する明確な回答は記されていない。編者がわれわれ読者に求めているのは、本書から唯一の正答を見つけだすことではなく、むしろ本書が提供してくれる議論を足がかりとして、女性あるいは男性として今後国家とどのように関わっていくべきなのかを1人1人が考えていくことなのであろう。
著者
多賀 太
出版者
關西大學文學會
雑誌
關西大學文學論集 (ISSN:04214706)
巻号頁・発行日
vol.70, no.3, pp.177-204, 2020-12-18

本研究は科研費 (18K02429,17H02679) の助成を受けたものである。
著者
多賀 太
出版者
国立女性教育会館
雑誌
国立女性教育会館研究紀要 = Journal of the National Women's Education Center of Japan
巻号頁・発行日
vol.9, pp.39-50, 2005-08-01

近年の社会経済的変化は、これまで女性に比べて安定し画一的だとされてきた男性のライフコースに、新たな「危機」と多様化をもたらした。第1に、雇用労働者の増加と長寿化が、定年後の「第二の人生」への再適応という課題を生じさせた。「現役」時代に企業社会へ過剰に適応してきたために、多くの高齢男性が、定年後の生活への適応に困難を抱えることとなった。第2に、女性の継続的な就労や政府の男女共同参画政策・少子化対策によって、父親により多くの育児責任が求められるようになった。長時間労働を強いられ、育児期の性別役割分業が経済的に合理的な選択になってしまうような雇用労働環境のもとで、多くの父親たちが、仕事と育児の両立をめぐる葛藤を経験するようになった。第3に、経済のグローバル化を背景とした雇用の二極化は、男性が仕事と家庭のバランスをとることを改めて難しくした。会社から「疎外」され、仕事も家族も得られない男性が増加する一方で、中核労働者の男性たちは、依然として企業に取り込まれ、家族と過ごす時間がもてないでいる。さらに、仕事や経済的な悩みでの自殺も増えている。男女平等を促進する立場からは、女性の社会的・経済的エンパワーメントを妨げない方向で、これらの男性の「危機」を克服することが求められる。公的政策と企業の努力によって、男性中核労働者に集中する労働量と賃金を他の人々に割り振ることが望まれる。男性たち自身も、近代の物質主義的=男性的価値を相対化し、家事や地域生活に必要なスキルを身につけ、柔軟な人生設計を行っておく必要がある。エンパワーメントのための生涯学習は、全体的な男性優位の構造と、より複雑で多様な個別の男女の関係性の両方を視野に入れながら進められる必要がある。
著者
多賀 太
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.93, 2000-07-31 (Released:2010-01-22)

本書は、「女性兵士問題」「国家と『性暴力』問題」「女性性器手術問題」という、フェミニズムにおいて近年クローズアップされてきた問題を論じた、9人の執筆陣からなる論文集である。第I部から第III部のそれぞれに男性の執筆者が1人ずつ含まれることで、議論により一層の広がりが与えられているように思える。まず第I部で、軍隊内で男女にまったく対等な処遇を行うかどうかという「女性兵士問題」を題材として、フェミニズムが「暴力」とどのような関わりをもつべきかが議論される。続いて第II部では、「従軍慰安婦問題」と「夫婦間強姦」を題材として、近代国民国家においては十分保障されてこなかった「性暴力を受けない権利」をめぐる議論が展開される。さらに第III部で、「女性性器手術問題」を題材として、「第一世界」のフェミニストたちが「第三世界」の女性の経験を「性暴力」の被害として規定すること自体の「暴力」性についての議論が行われる。最後に第IV部で、編者による議論の総括が行われる。一見しただけでは無関係にも思えるこれらの問題の背後には、共通するより大きな問いが存在している。すなわち、グローバル化が進行しつつある現代において、フェミニズムは、「性」の違いによって「暴力」に関する異なる経験を強いてきた近代国民国家 (=「ネーション」) とどう関わっていくべきかという問いである。しかし、これに答えるのはそうたやすいことではない。もし、フェミニズムが国民国家の枠を越えて「性」と「暴力」の問題に取り組むべきであるとするならば、他国に暴力を行使する軍隊の存在を前提としてそこでの男女の機会均等を主張することは慎まねばならないし、たとえ国家によって合法化・正当化された営みであっても女性の人権侵害と見なされるならば「国家批判」や異文化への「介入」も必要となってくる。しかし他方で、国家を越えた問題設定は国内での性差別を不可視化させる危険性を伴うし、女性の人権のうち国民国家の枠によってこそ保障されうる側面や、異文化への「介入」にともなう「暴力」性をどう考えるのかという問題も起こってくる。本書には、この問いに対する明確な回答は記されていない。編者がわれわれ読者に求めているのは、本書から唯一の正答を見つけだすことではなく、むしろ本書が提供してくれる議論を足がかりとして、女性あるいは男性として今後国家とどのように関わっていくべきなのかを1人1人が考えていくことなのであろう。