- 著者
-
藤城 孝輔
- 出版者
- 学校法人 加計学園 国際教育研究所
- 雑誌
- 国際教育研究所紀要 (ISSN:13437119)
- 巻号頁・発行日
- vol.2021, no.32, pp.41-53, 2021 (Released:2022-08-04)
- 参考文献数
- 33
本論文は、映画『ハナレイ・ベイ』(松永大司監督, 2018)におけるジェンダー表象を検討する。同作は2005年に発表された村上春樹の同名の短編小説の映画化作品である。短編集『東京奇譚集』(2005)に収録された小説「ハナレイ・ベイ」は女性主人公の主観を中心的に据えた「女性の物語」として認知されている。これに対し、映画では物語における若い男性の役割を原作よりも拡大し、中年女性である主人公は男性の庇護のもとに置かれた存在として描かれる。作中の会話に盛り込まれた劇的アイロニーに注目すると、主人公がハワイで出会う男子大学生が彼女の事情を理解し、暗黙のうちに彼女を助けていることに彼女が気づきそこねていることが明らかになる。また、登場人物の視線を表現する古典的手法であるアイライン・マッチを意図的に逸脱するかのような編集スキームは、主人公の認識の限界を強調している。これは、村上の原作においてあらゆる事物や出来事が主人公の目線を通して描かれるのとは対照的である。短編小説から映画へのアダプテーションに見られるこれらの改変を「ヤンキー」と呼ばれる1980年代以降の不良文化の表象における男性性のイメージの系譜に位置づけることを通して、本論文は家父長制に基づく日本の保守的なジェンダー役割意識が映画化に際して物語に加味されていることを示したい。