著者
大久保 健治
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.30-47, 2000

古典学文献学の問題として知られているものに、ホメロス問題と言われているものがあるが、これは広く文学一般に係わる問題であって、専門分野に限定される問題ではない。そこで問われている問題、ホメロス作と伝えられる二つの叙事詩、『イリアス』あるいは『オデュッセイア』は、何を語るのかということは、いかに語るのかという問題に置き換えられるがそれは形式に纏わる問題であって、問題はその形式をいかに捉えるのかという事に尽きるからである。つまり事は文学とは何かを問う事にほかならない。私はこの問題をとく鍵は、語り手にあると考え、その点に絞り結論めいたものに近づくことができた。本論はその報告を内容とするものである。従来、ホメロスの語り手は、ホメロスの名でもって伝えられてきた伝説を巧みに纏めて伝達するものというように、その機能は極く単純に捉えられてきた。その為、現代における素朴な口承叙事詩の語り手の場合と、比較対照するような研究がなされているが、ホメロスの語り手の機能はさほど単純ではないというのが、私の考えである。それは二重の機能を併せ持ち、両者が相互媒介する所にホメロスの語り手の機能は見いだされるように思われる。
著者
平井 一弘
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.47-60, 2007

This is a second story about Masu Gate, a "modern" Japanese woman who came of age and grew up to be a professional self-liberated woman in the Taisho Democracy period of Japan. The first story about her, presented in The Otsuma Journal of Comparative Culture, Spring 2006, depicted her "modern girl" life as an apprentice novelist / literary critic and the Yomiuri Newspaper's junior reporter. This second story describes Masu's highest stage of prosperity, which may well be characterized as professional and international, gaining her professional and secular fame as a Western-fashion dressmaker, "internationally" married to an American professor of a distinguished college in Tokyo.
著者
平井 一弘
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.67-84, 2006

This paper intends to portray a specific, so-called modern girl who was born in downtown Tokyo in the last decade of the Meiji era, grew up in the midst of the Taisho democracy period, became a well-known Western-style dressmaker with her training in the U.S. and with her American husband as well, and, then, survived the succeeding years of wars in the early Showa period, undergoing an unavoidable divorce with her pacifist American husband. "The modern girl," says Barbara Sato, "may best be understood as a phantasm rather than a social reality. Nevertheless, that phantasm was a marked feature of an urban society in flux, a powerful symbol of Taisho modernity." (p.49) Admitting that Sato's observation of the modern girl as a social phantasm is correct, the author of this paper still believes it is meaningful to present an "authentic" modern girl. The particular modern girl to be discussed henceforward, with the Japanese maiden name of Masu Hirai and the post-marital name of Masu Gate after "internationally" marrying Paul S. Gate, seems to have sincerely pursued to live a real life of modernity, to live as a professional woman independent both psychologically and economically, despite incessant harassments by traditionally-minded men and women in pre-modern Japan.
著者
銭 国紅
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.37-49, 2005

小文は十九世紀清中国知識人魏源にみられる世界像の変遷とその意味を分析することを目的とする。中国では普通アヘン戦争(一八四〇〜四二)を以て、近代史の始まりとする。これは中国の近代が西洋との対決と融合を抜きにしては語れないことを意味している。イギリス商人の飽くことを知らぬ悪辣な阿片密輸によって引き起こされたアヘン戦争は、中国人の西洋認識に重大な転換を与えたのみならず、中国人に初めて世界における自己を認識させる上でも徹底的なインパクトを与えた。こうした情勢の下で本格的に世界にまで視野を広げるに至ったのが魏源(一七九四〜一八五七)であり、その『海国図志』(一八四二)、『聖武記』(一八四二)大著二編であった。『海国図志』では、イギリスがいかにして十九世紀の世界覇権を握ったかに注目するばかりでなく、さらにこの西洋最強国を理解するには、地球レベルでみなければならないと主張した。こうして、魏源は侵略者から身を守るために、とりあえず侵略者の長所を取り入れ、これをもって侵略に備えるという二段階説をとり、『海国図志』もこうした二重構造になっているといってよい。〈夷の長技を我が物にする〉ため、被け世界の全ての国を視野に収め、その歴史・地理及び軍事・政治等を悉く分析していく。また戦略・戦術として各国間の利害関係を利用する「以夷款夷」(夷を以って夷を款する)の策まで考えていた。彼は「英夷」以外の諸国にも目を配っていたのである。例えば、彼はアメリカを中国の立場にもっとも近い、互いに似通った正義と理想の国として眺めていた。アメリカと中国は地理的に相似するのみならず、外来勢力に対する抵抗者であるところも似ているという。『海国図志』巻五十九においてはワシントンの宣言文をそのまま引用し、アメリカとイギリスとの対立、アメリカ人のイギリス支配からの独立を讃えた。魏源がイギリスを「英夷」と、アメリカを「米夷」と呼ばなかったのは、ゆえなしとしないのである。要するに十九世紀中葉以来、中国の知識人たちはかつてない世界像の拡大を体験する。魏源を初め、洋務派や改良派などの指導者たちは次々と西洋世界に目を向けるようになり、地理的世界のみならず、精神的世界にも接点を求めつつ、独自の世界参画への道を歩み始め、こうして近代中国の世界認識の原型を形作っていく。「天下」から「世界」へと世界像を転換させるために、これらの人々は古代中国の大同理想に思いを馳せる一方で、永らく停滞してきた中国思想に西洋世界の刺激を注入し、自己中心的世界像から脱出する困難な旅に上る。このような模索は、近代中国人の最初の「西洋」発見として、或いは世界における中国のあり方に対する切実な問いとして、中国独自の新しい世界像の展開を促すものであった。
著者
中村 健之介
出版者
大妻女子大学
雑誌
大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要 (ISSN:13454307)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.143-127, 2006

「ドストエフスキー・ノート(2)」の「ドストエフスキーとイギリス」は、「日本ヴィクトリア朝文化研究学会」創立記念講演(二〇〇一年十一月十七日 大手前大学)のノートである。今回は、十月「日本ロシア文学会」で行なった講演(ニ〇〇五年十月七日 早稲田大学)を文字に起し、それに補足加筆してみた。今回の講演もおよその筋書きは用意していったのだが、いざ話し始めるとその場で思い浮かんでくることがいろいろあって、予定していたのとはかなり違ったかたちの話になってしまった。しかしそれでよかったと思う。講師は千葉大学の御子柴(みこしば)道夫氏と私の二人で、私の前に御子柴氏が「ソロヴィヨーフからロシア正教思想へ」と題して自分の研究の道すじについて話された。私は「宣教師ニコライ、出会った人たち」という話をした。「宣教師ニコライ」とは、東京神田のニコライ堂(東京復活大聖堂)でその名が知られるロシア正教会の宣教師、幕末から明治末まで半世紀にわたって日本人にロシア正教を伝えるべく奮闘した天主教ニコライ(俗姓カサートキン 一八三六〜一九一二)のことである。ニコライは、一九七〇年ロシア正教会によって列聖された。今日ニコライは、ギリシャをはじめとする東方正教の諸教会でも、また欧米のロシア正教会(The Russian Orthodox Church outside Russia)でも、「日本のニコライ」として広くその名が知られている。二〇〇三年には、北米サンフランシスコのDivine Ascent PressからSt.Nikolai Kasatkin and the Orthodox Mission in Japan. A Collection of Writings by an International Group of Scholars about St.Nikolai and his Disciples, and the Missionが刊行された。