著者
田代 一洋 内田 為彦
出版者
宮崎県水産試験場
雑誌
宮崎県水産試験場研究報告 (ISSN:13445863)
巻号頁・発行日
no.4, pp.1-34, 1989-05
被引用文献数
1

1967~1986年の20年間に漁業試験船みやざき丸が実施した標識放流調査結果を基に,中南方海域(おおよそ9°~23°N, 128°~14O°E)から日本近海(23°N以北)へ来遊するカツオの北上移動経路について検討した結果,次の知見が得られた。1 日本近海で再捕されたカツオの北上移動に対する再捕割合は,14°~23°N帯(A,B,C,D海区)から58%,9°~14°N帯(E,F海区)から約32%であった。このことから14°N帯付近を境に南北移動に大きな差がみられ,また,冬期に高緯度帯に加入した群ほど北上傾向が強くなっている。2 日本近海で再捕されたカツオの北上経路について,135°E以西(A,C,E海区)からの放流魚に対する再捕魚はすべてが北~北西方向に移動して春先に薩南海域へ加入しており,小笠原海域および紀南沖合への加入はみられなかった。また,135°E以東(B,D,F海区)からの放流魚に対する再捕割合は薩南海域へ68%,小笠原海域へ32%が加入していた。中南方海域を全体的にみると,それぞれ86%,14%で,薩南海域への加入は厚く,小笠原海域へは簿く,紀南沖合海域を直接縦断して北上する魚群はごく一部に限られるものと推察された。また,14O°Eより西側の海域へ加入した群ほど薩南海域へ来遊する割合が高くなる傾向にある。3 九州西方海域のカツオの移動について,中南方海域から春先に先島諸島近海に加入したカツオは,一部が4~5月に奄美大島~トカラ列島近海を経て,6月頃には五島列島近海に達しており,10月頃には水温の降下とともに再び同様のコースをたどりながら北赤道反流域まで南下することが推察された。他の魚群は,屋久島南方海域を北東流する黒潮本流に沿って主に5~6月には紀南,伊豆両海域へ,更には7月頃までには東北沿岸海域まで広く移動している。
著者
松浦 光宏 田口 智也
出版者
宮崎県水産試験場
雑誌
宮崎県水産試験場研究報告 (ISSN:13445863)
巻号頁・発行日
no.11, pp.18-28, 2007-03

アオリイカの種苗生産技術は、生きた餌の確保に問題があり、未だ確立されていない。しかし、漁業者からは増養殖を目的とした人工種苗供給の要望が強いことから、種苗生産試験に取り組んだ。試験は2回行い、いずれも、天然海域に生み付けられた卵のう塊を採集し、陸上水槽で孵化させた後、その孵化稚仔イカに生きた魚等を餌として与え養成した。課題は、孵化直後から、必要な餌として使用できる魚の検索およびその確保であったが、有効な生きた魚の確保は難しく、餌不足のため、稚仔イカは多数死亡した。しかし、試験途中ではあるが、淡水魚カダヤシを海水馴致処理後に生き餌として投餌する方法を開発した結果、餌不足による減耗は止まり、生残率は向上した。試験1回目は、542個の卵から78日の養成期間を経て、平均外套背長58.0±6.5mm、平均体重20.0±5.6gの稚イカを21尾、試験2回目は、691個の卵から、47日間の養成を経て、平均外套背長41.0±4.0mm、平均体重7.1±1.6gの稚イカを10尾生産した。孵化後から試験終了時までの生残率は、それぞれ3.9%と1.4%の低い数値であったが、産卵期間が長く、孵化日の調整が難しいアオリイカにとって、カダヤシは、孵化直後から種苗生産終了時まで、1種で一貫して使用できる有効な餌と推察された。その後、生産した稚イカ29尾を死んだ魚のみを餌として飼育、養成した。さらに、生き残った2尾を親イカとして、2回の産卵試験を行った。試験1回目は7個の卵が途中まで発育したものの、孵化直前までに全て死亡した。試験2回目の卵のうは、全て発育しなかった。親イカとして使用した雌は、2回目の産卵翌日の2006年6月27日、雄は、2006年7月21日に死亡した。このアオリイカは、孵化後374日生存した。