著者
藤岡 正春
出版者
島根大学教育学部
雑誌
島根大学教育学部紀要(教育科学) (ISSN:0287251X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.81-88, 1979-12-25

柔道の国際化に伴い、日本柔道は重量級のみならず軽量級の力も諸外国と接近し,全階級制覇は至難とされるようになった。第3回世界選手権に続き東京オリンピックにおいてもオランダのへ一シング選手(196㎝,120㎏)に敗れ,寝技の重要性と体力不足が大きく指摘された。以後、世界の柔道はパワーの柔道へ進むとともに,選手の大型化(オランダ・アドラー,218㎝,ソ連・チューリン,210㎝,共に140㎏)と国際審判規定の改正により,更にパワーのあるダイナミックな柔道が要求されるようになった。このような世界の柔道の趨勢の中で日本の柔道界は,体力養成と同時に外国選手向きの技として担ぐ技の修得が叫ばれ,力を入れて来た。13; 東京オリンピック前年(1963年秋)へ一シング選手が2ケ月間の天理大学での練習時に,1無名選手の小内刈に良く転んでいた。又オリンピック後の尼崎国際大会決勝戦で日本の加藤選手に同じく小内刈で技有を取られるのを見て以来,大型選手に対して最も有効な技は小内刈等の足技という確信を持つようになった。13; 嘉納杯は,東京オリンピック以来日本で初めての大きな国際大会てあり,この大会を分析することにより,今後の日本の柔道選手は,どのような技を修得しなければならないか,その手掛りを見付けだしたい。