著者
内山 登美子
出版者
島根大学
雑誌
島根大学論集 教育学関係 (ISSN:04886526)
巻号頁・発行日
no.8, 1958-07

現代の教育は教師の理論の押し付けや,教科内容のたたきこみであつてはならないことはいうまでもなく,さらに児童,生徒の自発的活動を引出し,その意慾を核心としてつみあげられねばならない。とすれぱ教育の理念,方法,教科内容なとの教師側に属すると普通考えられるものをよく研究するとともに,児童,生徒側,すなわちその素質,環境,関心などをよく知ることが,これまた必要不可欠なことである。 児童生徒に関する一般的知識は近来非常に高まつて来ている。すでに多くの研究業績も発表されている。しかしこれを細かく考えると,いろいろな立場や観点から沢山な階層,集団にわけることが出来,それぞれの分野における研究となれば,ようやく始まつたばかりであるといつても過言ではあるまい。 この研究は島根県下の一漁村部落,とくに近親結婚の濃厚な地帯における学童の身体発育並びに精神発育の実態調査である。 遺伝が身体並びに精神発達に深い関係のあることはいうまでもない。とくに近親結婚がこれ等にどういう結果を示すかについては,特殊な事例の研究は詳細なものがあるが,一般的なものは比較的少ない。近親結婚がややともすると望ましくない結果となることが認められて、最近は近親結婚の集団的な存在は段々少くなつて来ているが,後進地域であり,貧困な島根県においてはまだまだ近親婚の濃厚地が少くない。この研究の対象とした学章の地域もその一つである。 以上のような観点から遺伝特に近親結婚が学童の身体並びに精神発育にどんな関係を持つかを明かにし,現代における学校教育並びに杜会教育の推進にいく分かでも役立てたいというのが私の期待である。I
著者
上田 常一
出版者
島根大学
雑誌
島根大学論集 教育学関係 (ISSN:04886526)
巻号頁・発行日
no.2, pp.23-55, 1952-03

私は、昭和二十六年の秋廣島大學において開催されたIFEL(Institute For Educational Leadership)の理科致育の部に参加した。米國コネチカット州立教育大學の客員致授ロバート・ケー・ウィクウェア博士がこの部の顧問で、博士(當時三十八歳)は、彼國で発行されておる理科致育の名著を次々に運んで皆に紹介されたが、それらはいづれもご三十年来の比較的新しいものばかりで、古物は一冊だになかつたように覚えている。致科書で見せられたものは、ただ一種ウインストン会社の一九五一年の初版にかかる標題のもののみであつて、博士がたずさえられたのは、その中の初の三冊で、インクの香り未だに高いI Wonder Why,Seeing Why,Learning Whyであった。四~六巻はExplaining Why,Discovering Why,Understanding Whyになつている。一般に教科書の研究はその時代における致育の思潮なり學習指導の方法なりを、間接的ではあるが手つとり早くうかがうに便利であり、それに、博士によれば米國では、一般に理科致育の目的ば、むつかしいかたぐるしい自然科學をたやすく國民に取りつぐにあるので、第一次世界大戦の終了した一九二〇年以後國民が科學の重要性に氣づいて始めたものだとされてるから、それでぱ具體的にはどのようにして取りつがれているのだろうかと、上述三冊の教科書を借りて調べてみた。その結果は、日本が戦争中に出した國民學校理科書の行き方と、よく似ているが、取材のセンスを異にしており、學習指導法に多くの學ぶべき點を見出したので、ごこに紹介する。 順序として、先す一~三巻を通じてみられる取材ならびに指導法の特色を概括し次いで各巻ごとにその内容を掲げ、あわせてその特色をまとめる。特色のごとについては私の獨断あらんことを恐れているから、各巻の内容に基いて御叱正を賜わりたいものである。くどくどしく内容を忠實に紹介するゆえんはそこにある。
著者
永井 康宏 小玉 耕平
出版者
島根大学
雑誌
島根大学論集 教育学関係 (ISSN:04886526)
巻号頁・発行日
no.16, pp.91-113, 1966-12

体育とは身体運動やスポーツの実践によって成立する教育作用を意味し,一般には運動やスポーツによる人間生成あるいは人間形成といわれている。したがって,単なる運動やスポーツの実践が直ちに体育であるのではないけれども,運動やスポーツが行なわれないところに体育は成立しないから,運動やスポーツの実践は体育成立の基本条件と考えてよい。そこに体育成立の手がかりがあると考えられる。13; このような運動やスポーツ実践の機会は,学校,家庭,地域杜会などにあるが,学校においては全員必修の教科体育時,他に教科外の特別教育活動や学校行事活動の機会,さらには自由時などがあり,適切な指導とあいまって,そこにそれぞれ体育が成立することが期待されている。13; しかし,最近の受験体制と進学競争の激化に伴って,学校における運動やスボーツの実施がしだいに減少の傾向にあることが指摘されている。例えば,昼休み時間や放課後学校で運動する生徒が減少したとか,対外試合が華やかにジャーナリズムによって喧伝されているにもかかわらず,運動部(クラブ)員の数はしだいに減少しつつあるとかいわれているのがそれである。13; そのような状況が存在することは確かであるし,また,受験体制がそのような事態の最も根本的な原因になっていることも否定できないだろう。しかし,運動やスポーツの実施がどの程度に減少したか,また,それがどのような理由にょるかを具体的に検討することもしないで,すべて,原因や理由を受験体制だけに帰することは非科学的であろう。現状の把握やその原因や理由の追究は困難ではあるが,そうかといって,何もしないで,拱手傍観しているというのでは,あまりに無責任であり,また,ふがいないと.思われる。13; 本研究は、このような動機や観点から,二県の中学生高校生の最近の運動生活の実態や運動に対する感じ方,考え方を調査し,事態の真相を究明し,それから彼等の体育についての意識や,意識の形成に影響を及ほしている要因について考察し,今後の学校体育の経営や指導のための手がかりを求めようとしたものである。