著者
田中 俊夫 長谷川 典子 小原 繁 佐竹 昌之
出版者
徳島大学
雑誌
徳島大学大学開放実践センター紀要 (ISSN:09158685)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.55-88, 2007-08

2005年12月11日に開催された第34回JALホノルルマラソンに参加したランナーに対してアンケート調査を実施した。調査対象者はホノルルマラソンに向けたトレーニングプログラムの参加者であり,207名から回答を得た。男女比は1:1で,平均年齢は46歳,半数がジョギング未経験者で7割がフルマラソン未経験であった。ジョギングの練習は平均で,週3回,約1時間行っていた。10月・11月の月間走行距離は150kmで,1回の練習における最長距離は26kmであった。ホノルルマラソンの最大の目標は「目標タイムで走る」が46%で最も多かった。ゴールタイムの平均は5時間29分で,半数が「思ったよりも走れなかった」と回答した。後半かなり遅くなった人,歩いた人,エネルギー切れを感じた人がそれぞれ約半数いた。太もも前側,太もも裏側,ふくらはぎ,足の裏,膝がレース中に痛みを感じた部位のトップ5であり,20kmを越えてから痛みを感じる割合が急増していた。レースの翌日に発熱や頭痛,下痢などの症状があった人はわずかであった。3分の2が太ももの前側に筋肉痛を感じていて,半数がふくらはぎに筋肉痛があった。また3分の1が膝の痛みを感じていた。長距離練習を実施したか否かがレース中の身体の痛みの出現の大きな要因となっていると考えられる。21.5km未満の練習しか行っていない群では,30km以上の練習を行った群に比べて,20kmを越えると太ももや膝,ふくらはぎ,足の裏などに痛みを感じる人が多かった。レース前日の睡眠時間の多少はレースのパフォーマンスに影響を与えないことが示された。
著者
鈴木 尚子
出版者
徳島大学大学開放実践センター
雑誌
徳島大学大学開放実践センター紀要 (ISSN:09158685)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.1-23, 2019-03

本稿は,米国イリノイ州にある公共図書館地区の一つが介護施設で実施している認知症高齢者を主たる対象にした教育プログラムを取り上げ,現地調査及び資料分析を通じてその特徴と課題を明らかにすることを目的とする。米国では,今後数十年間に急増する高齢者を見据え,様々な分野において高齢化に関わる議論や取組が存在する。とりわけ認知症の問題は,当事者だけでなく,それにまつわる社会コストや介護者への負担の大きさ等から深刻な影響が懸念されており,図書館もその対策に積極的に関わっている。米国の公共図書館の中には,認知症者の症状に見合った図書館資料を慎重に吟味し,それらを効果的に活用した教育プログラムの提供により,認知症高齢者の認知機能や社交性,介護者との関係性,介護者の認知症者に対する意識等に肯定的変容をもたらしうる事例があることが判明した。今後の課題として,より良い成果に向けたプログラム内容・方法の再検討,実施者の持つべき専門性に関する熟慮,認知症者にとっての学習及び図書館資料の持つ意味の概念整理と学術的追究,図書館の独自性と本事業に関わる意義の整理等があることが抽出された。米国よりはるかに高齢化の進行する我が国では,既に図書館内で認知症をめぐる問題が顕在化しており,米国のようにきめ細かなプログラムの開発やその実践は容易ではない。とはいえ,図書館資料の注意深い吟味とその効果的活用,認知症事業へのボランティアの積極的活用等,対応が考えられ得るものもある。諸外国の事例にも学びながら,多様な人々を包摂する社会の実現に向け,図書館の持つ潜在機能をより精緻に追究する姿勢が望まれる。
著者
AIBA Kazuhiko
出版者
徳島大学
雑誌
徳島大学大学開放実践センター紀要 (ISSN:09158685)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.15-28, 2016-03

2015年9月に日本の国会で強行採決された安全保障関連法は国内外で大きな注目を集めた。日本国外の視点からは,この安保法制の国際的な要素に着目しがちであるが,本来は国内的な要素に対する分析,評価が優先されねばならない。本稿では,国内の観点に基づき,安保法制に関して三種の枠組みから考察する。一点目は憲法論の枠組み,二点目は政策論の枠組み,三点目は人物論の枠組みである。憲法論の観点からは,とくに集団的自衛権の行使が問題になる。安倍内閣は2014年7月の閣議決定で,これまで憲法上不可とされてきた集団的自衛権の行使を可能と変えたが,一内閣による独断的な解釈改憲は立憲主義の崩壊につながるもので,到底,肯定されえない。集団的自衛権の行使が必要なら正規の憲法改正手続きをふんで行うべきである。また政策論の観点というのは,日本の平和と安全が,この安保法制という政策によって,効果的に達成できるのかという考察である。今回の安保法制は自衛隊の海外における活動を質・量ともに拡大し,つまり,武力の強化という手段によって日本の平和と安全を確保しようとしている。しかし,武力にはそれ自体弊害を内包し,また武力以外のやりかたも多様に存在する中,武力に偏重する今回の安保法制は,日本の安全という目的を達成する手段として効果的、合理的とは言いがたい。人物論は安倍首相自身の政治姿勢,人格,知性などの個人的属性の問題である。安保法制の問題に限らず,安倍首相の取組みに対して形容される象徴的な言葉は「不誠実」と「傲慢」である。同じ政策であっても,信用できる政治家によるか,そうでない政治家によるかで,評価は違いえる。安倍首相という個人に対する信頼感が低下する中,安保法制も必然的に信用できないという評価は免れがたい,と言えよう。このように三種の観点から考察すれば、安倍内閣による今回の安保法制は不当であると言える。