- 著者
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朝倉 徹
- 出版者
- 東海大学
- 雑誌
- 東海大学課程資格教育センター論集 (ISSN:13492438)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.43-49, 2006
1910年代からアメリカ,フランス,ドイツ等を中心に「科学的管理法」が浸透し,その後日本にも波及した。「科学的管理法」は「効率・能率主義」を生み,それが社会思想,教育思想にも大きな影響を及ぼした。その一例は,多くの小説や映画,教科書教材(等のメディア)が露骨な主題主義,単純明快な人物感情描写へと変質した(「道徳的価値」の分かりやすい提示=強制)ことであり,その過程で効率良く「正解」を教え込むために事実の捏造も行われた。その後,敗戦による価値観の大変動という転換期を経て,小説や映画は主題を隠し,受容者(読者と視聴者)の解釈に依存する形をとるようになった。学校教育(国語科)でも読解に力を入れ,主題や人物感情の思惟に時間を割くようになった。しかし,1990年代以降,社会にも学校教育にも「効率・能率主義」が復権してきている。「役に立つ」ことを教授することが,教室の中でも,教育研究者の間でも疑うことなく是とされる傾向が見え始めている。「役に立つ」ことは,教育する側が価値づけした事柄であり,それについて逡巡することなく安易に,一方的に提示する指導法は戦前・戦中の思想教育と同質である。この現状に対する処方箋は,「価値ある事柄・事実」を提示・受容(学習)することを懐疑し,「価値・事実」を相対化する(疑いながら受容する)過程の重要性を確認するところから生まれる。人間の認識は,必ず状況(文脈)に依存する。ならば「自明の価値」を流通させる一方通行型の授業は,生理的な認識機能に反することである。「明示された価値」を理解(暗記)する授業ではなく,文脈(状況)に隠れた主題,様々な感情の可能性について逡巡する授業がメディア(映画や文学作品)を用いた授業の方法論として検討されるべきである。それらは甚だ「非効率的」であるが,その有益性について,教育研究者が思惟することは非常に重要なことであると考える。