著者
加賀谷 みえ子 加藤 舞子
出版者
椙山女学園大学
雑誌
椙山女学園大学研究論集 : 人文科学篇・社会科学篇・自然科学篇 = Journal of Sugiyama Jogakuen University. Humanities, Social sciences, Natural sciences (ISSN:24369632)
巻号頁・発行日
no.54, pp.53-61, 2023-03-01

日本料理の四季折々の盛り付けの美しさや料理のおいしさは,調理過程における調理操作の良し悪しで決まる。世界に誇る日本の食文化を代表する日本料理は室町時代に成立したとされている。調理操作は,非加熱調理操作,加熱調理操作,調味操作に大別され,特に非加熱調理の切砕では包丁技術が料理の出来栄えに大きく影響する。野菜では不可食部分を除去するため,皮を剥き,次に切る操作によって,形を整え,大きさを切りそろえるなどの成形を行う。これは食品の表面積を大きくし,火の通りを速め,味の浸み込みを均一にすることができ煮崩れを防ぐこともできる。野菜や肉では繊維の方向を考えて切ることで食感に変化を与えることができる。繊維に対して直角に切ると軟らかい食感,繊維に対して平行に切ると硬さを残すことができる1)。さらに切り方の大小は食感,味に影響し,飾り切りは美しい仕上がりとなる外観の美しさに影響する。剥く・切る調理操作では包丁技術が料理の完成度に大きく関与する。日本料理を志す料理人が,まず初めに習う剥き方は「桂むき」である2)。大学での調理実習においても「桂むき」は初めに練習する包丁技術である。「桂むき」の語源は諸説あるが,京都の町へ行商に来た桂女が頭にかぶっていた白の布に似ている,また京都桂川のなだらかに流れている川面が大根など剥いたさまに似ているところからこの名が出たといわれている3)。「桂むき」は剥きものの最も基本となる包丁技術4)といわれ,剥く速さではなく,薄く均等に長く剥くことが求められる。「桂むき」は練習を繰り返すことで正確に剥く技術が身に付き,やがて様々な剥き方・切り方の習得へとつながっていく。しかし,専門的な剥き方の上達には熟練を要し,包丁技術の熟練者と非熟練者では 技術力に差がでるのは当然である。熟練者が剥き方のコツを伝授し,非熟練者の技術力の上達を図るためには,その違いを分析し解明する必要がある。 「切り方」に関連する先行研究において,包丁技能に関する研究5‒7),熟練者と非熟練者の比較研究 8, 9)や包丁技術の指導に関する研究10, 11), アンケート調査12)などはあるが「桂むき」を実測した研究は見当たらない。本研究は,「桂むき」に着目し,熟練者と非熟練者の技術力を客観的に把握し,非熟練者の改善点を見出し,「桂むき」の剥き方を具体的且つわかりやすい桂むき指導法の教材開発を行うことを目的に研究を行った。
著者
河合 潤子
出版者
椙山女学園大学
雑誌
椙山女学園大学研究論集 : 人文科学篇・社会科学篇・自然科学篇 = Journal of Sugiyama Jogakuen University. Humanities, Social sciences, Natural sciences (ISSN:24369632)
巻号頁・発行日
no.54, pp.63-74, 2023-03-01

1日3食を食べる習慣は,鎌倉時代から始まり,江戸時代後期には定着したと言われる。しかし,1回の食事が整っているわけではなく餅2個や饅頭,粥などの軽食ですませているため,現代の3食とはかなりかけ離れている。小腹がすいたら食べるという軽食感覚であったと考えられる1)。江戸では,参勤交代による単身赴任の武士が外で飲食をする機会も増え,味噌をはじめ様々な調味料や文化が開発,発展していったとされている。 そこで,本研究では,一般的に家庭で作られていた伝統的な調味料である味噌の中でも,塩分含量が少なく甘味の強い「江戸甘味噌」に注目した。江戸甘味噌の特徴,調製方法,さらに当時作られていた料理を当時の書物から時代背景を加味して取り入れた。しかし,いろいろな方法が記されていたため,現代の家庭でも可能な方法で調整した。調整した江戸甘味噌はくせの無い香りや旨味があり,特に独特の甘みには腸内環境にも好影響をもたらすイソマルトースが含まれていた。今後,健康への取り組み,食文化の継承保持からも江戸甘味噌普及に向けた取り組みは重要と考える。
著者
今村 洋一
出版者
椙山女学園大学
雑誌
椙山女学園大学研究論集 : 人文科学篇・社会科学篇・自然科学篇 = Journal of Sugiyama Jogakuen University. Humanities, Social sciences, Natural sciences (ISSN:24369632)
巻号頁・発行日
no.54, pp.95-103, 2023-03-31

本稿は愛知県,岐阜県を対象とした拙稿[1][2]に続き,三重県を対象として,明治~昭和初期の統計から近代花街の一端を明らかにしようというものである。なお花街とは,料理屋(料亭),待合茶屋,芸妓置屋が集積する遊興空間を指す。芸妓置屋に身を置く芸妓が,取次をおこなう検番の差配により,料亭や待合茶屋に出向き,芸を披露し宴を盛り上げたわけだが,こういった宴をお座敷と呼んだ。 かつては,全国津々浦々600か所程度はあったとされる花街だが,現在は30~40程度にまで減じている。本稿の対象である三重県内に限ってみれば,花街は現在,桑名しか残っておらず,三重県内にかつてあった花街について窺い知ることは容易でない。そこで本研究では,国会図書館に所蔵されている明治~昭和初期の『三重県統計書』(三重県発行)に掲載されている花街関連統計データを整理し,近代における三重県内の花街の盛衰を明らかにすることを目的としている。