著者
塚本 明
出版者
三重大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

近世伊勢神宮の門前町、宇治・山田の社会構造を、神社特有の触穢意識の規定性と、穢れを忌避するシステムに注目して分析を加えた。近世の宇治・山田では、中世以来の神社の触穢規定に反して、実生活においては触穢の影響を回避する工夫がなされている。また穢れの判定には、幕府の遠国奉行・山田奉行に比べて神宮はむしろ軽く済ませる志向を示した。宇治・山田という都市が諸国からの参宮客によって経済的に成り立っており、参宮を規制する触穢規定の適用が好まれなかったことが背景にある。だが同時に清浄さを重んじる伊勢神宮は世間の見方に影響を受け、触穢を蔑ろにすることも許されなかった。宇治・山田の社会が死穢の影響を避けるためには、これらを処理する専業者、拝田・牛谷と呼ばれた被差別民を不可欠な存在とした。なお、外来の被差別民を含め、彼らへの忌避意識は江戸時代前期において強くはない、だが中期以降に、山田奉行、朝廷世界からの働き掛けにより、次第に触穢意識も変容を迫られる。特に幕末期には、被差別民、仏教、異国人が一体となって排除されるようになり、直接・間接的に近代以降の触穢意識を規定していくこととなる。なお、報告書においては伊勢神宮長官機構で作成された公務日誌中の触穢関係記事の一覧、宇治・山田の基礎的な資料である『宇治山田市史資料』の年次一覧、神宮領の基礎的な文献である『大神宮史要』の江戸時代中の記事について編年にした一覧表を付した。

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こんな研究ありました:近世門前町、宇治・山田の社会構造に関する研究(塚本 明) http://t.co/ZEj0FMLwxQ

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