著者
大河内 美紀
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

アメリカにおけるデパートメンタリズムの議論を中心に、解釈の多元性に関する検討を行った。1990年代(ブッシュ政権)以降、合衆国においては行政権の拡大が指摘されており(James P. Pfiffner)、オバマ政権期に分割政府状況に至ると議会と大統領との対立はさらに顕著になった。そうした問題意識から、合衆国では、立法に署名する際に大統領が一種の解釈宣言を行う署名時声明を素材として、解釈権の所在が論じられたり(S. Kelley)、立法府はいったん制定された法律の執行に口を挟むべきではないとするanti-aggrandizement principleの見直しの指摘(Simon Hansen)などが登場してきている。これらの議論は、国家機関の間における「公的な」憲法解釈権の配分をめぐるものであり、まさにデパートメンタリズムの現れたものと言える。しかし、留意すべき点が2点ある。第一に、これが厳格な三権分立を統治の基軸とする合衆国における現象であるという点である。無論、日本においても機関訴訟のような形で国家機関間の権限配分が問題となる場面は存在する。しかし、立法-行政の間の責任と協調をベースとする議院内閣制の日本において、合衆国におけるデパートメンタリズムのような形で解釈の多元性が表出することは例外的と考えられる。第二に、これらが憲法解釈が最終的に確定される局面、いわばラストワードの場面における対立であることである。しかし、ラストワードの場面は憲法解釈の表層にすぎず、その解釈の正統性はより下位の層における解釈によって支えられているとみるべきである。ポピュリスト立憲主義はラストワード以外の場面に光を当てる可能性を持つ議論であるものの、なお、それを自覚的には論じておらず、それがポピュリスト立憲主義の限界となっている。

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