- 著者
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志々田 文明
- 出版者
- 早稲田大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2008
竹下勇日記及び「乾」の巻解読によって以下の事実が明らかになった。1)植芝盛平が1926、1927年頃において指導した武術名は大東流柔術であった。以後1928年に相生流合気柔術、1929年に合気武術、1933年頃には合気武道へと変遷した。2)1930年頃から柔道、剣道、唐手等の著名な武術家の竹下勇訪問があり、植芝の武術への他武術の影響が示唆された。3)1635手の技術があり66の格闘形態が想定されていた。その七割強が相手に組み付かれた状態、組みつこうとしたときが想定されていた。4)植芝の武術はかなり実戦・実用的なものと理解された。