著者
廣岡 義隆 Hirooka Yoshitaka
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.35-52, 1985-03-31

『万葉集』に八首載る但馬皇女と穂純皇子の歌を歌物語として考究したものである。従来から歌物語として見られてゐなかつたわけではないが、それらは歴史的事件を背景として詠まれたものであるとみなされてきた。本稿は、歌句表現・題詞等の考察を手がかりに、恋愛事件ともかかはらない単なる独詠が、歌物語として発展展開していく相をみたもので、それは褻の「言寄せ」の世界における文学的営為に外ならなかつたといふことを論述したものである。
著者
塚本 明 TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-19, 2000-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の朝廷が発令した「触穢令」が、伊勢神宮に与えた影響の時期的変化を見ながら、近世の伊勢神宮と朝廷との関係を考察した。「触穢令」は天皇・上皇・女院の死に際して朝廷から出されるものだが、前期には江戸将軍の死もその対象となった。基本的には宮中及び京都周辺の社寺に限定して出され、朝廷行事や神事等がその間中断された。さて伊勢神宮に京都の「触穢令」が伝えられるのは宝永六年を初発とするが、これは触穢伝染を予防するためのもので、天保年間に至るまでは伊勢神宮・朝廷側ともに、京都の触穢が伊勢にも及ぶという認識はなかった。だが伊勢神宮を朝廷勢力に取り込む志向が強まるなかで、弘化三年時には朝廷は伊勢神宮の抵抗を押し切り、触穢中の遷宮作時を中断させるに至る。両者の対立の背景には、触穢間の相違に加え、神宮神官らが全国からの参宮客を重視したことがあった。