著者
ソロンガ
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.13, pp.211-224, 2012-05-01

近年, 中国内モンゴル自治区において, モンゴル帝国からの伝統祭祀である「白いスゥルデ祭祀」が, 三か所でそれぞれ独自の形で並行して行われるようになった. 一つはモンゴル帝国の軍の直系一族にあたる祭祀集団によって, 400年近く受け継がれてきた伝統祭祀である. もう一つは, 2006年, モンゴル統一800周年を機に, 観光用に「再創造」された祭祀である. この派手な祭祀は, 民間の実業家と過去の「白いスゥルデ祭祀」を研究してきた学者の共同によって作られたものである. そして, 三つ目は最後の大ハーンであるリッグダン・ハーンの故郷であるチャハルの子孫たちが, そこをモンゴル帝国の正統な中心地であると主張して「移植」して2008年に開始した祭祀である. これらの三つの祭祀は, それぞれが自らの正統性を主張しながら, 行われている. 新たな「祭祀」の「復活」の背景には, エスニック・アイデンティティの側面と, 経済的利益の側面がある. どちらの祭祀も, 観光を通した利益を求めて復活したが, 同時にモンゴル人のエスニック・アイデンティティの活性化をもたらした. そのエスニック・アイデンティティはオルドスとチャハルの二重構造を持つ. 国家は, 観光を振興しながらも, 過剰なエスニック・アイデンティティは抑制しようとする. それが祭祀の復活の活動とエスニック・アイデンティティに影響を与えている.In the Inner Mongolian Autonomous Region of China, traditional ceremonies known as "white standard ceremonies, " which symbolize the spirit of the old Mongol empire, are now performed at three different locations in three different styles. The first of these three ceremonies uses actual traditional rituals which have been transmitted for almost 400 years in Ordos by a group of priests alleged to be the direct descendants of the royal soldiers of the Mongol empire. The second one is a new ceremony which was "re-created" in 2006 near the location of the first one, in Ordos, for tourism development in commemoration of the 800th anniversary of the founding of the Mongol empire. This colorful ceremony was created through the cooperation of a private entrepreneur and of a scholar who has investigated the original "white standard" rituals of the past. The third ceremony is the newest one, created in 2008 in Čaqar, where Ligdan qaүan, the last qaүan of the Mongol empire, had his palace. This ceremony was created by the Čaqar Mongols, who assert that Čaqar is the true center of the old Mongol empire, by "transplanting" parts of the actual traditional rituals from the first ceremony in Ordos. These three ceremonies all strongly assert their own legitimacy. In the background of the revival and re-creation of ceremonies, there are issues of ethnic identity and economic profit. Both of the new ceremonies, which have been revived for purposes of economic profit by way of tourism, at the same time activate the ethnic identity of the Mongolian People, which has a duality centered on Ordos and Čaqar. The Chinese government promotes tourism, but also seeks to control excessive activation of ethnic identity, and this fact influences both ethnic identity and activities relating to the revival of ceremonies.
著者
安成 哲三
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
no.14, pp.19-38, 2013-03-20

本稿では第三紀末から第四紀にかけてのヒマラヤ・チベット山塊の上昇と, それに伴う気候・生態系変化が人類の起源と進化にどう影響を与えてきたかを, 最近30年の地球科学, 人類学の研究をレビューしつつ, 考察を試みた. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇は, 第三紀末からアジアモンスーン気候と西南アジアから北アフリカにかけての乾燥気候を強化していった. 特に5-10Ma(Ma: 百万年前)頃の, 東アフリカの大地溝帯の形成による赤道東アフリカの気候の乾燥化と草原生態系の拡大は, 原人類の起源に重要な意味を持っていることが明らかとなった. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇に伴うモンスーン降水の増加は山塊の風化・侵食過程を通して大気中のCO[2] 濃度減少を引き起こし, 地球気候を第三紀から第四紀の寒冷な氷河時代へと導入していった. CO[2] 濃度の低い大気環境によるC[4]植物の草原の拡大は有蹄類の動物の多様な進化を促し, このことは原人類の進化にも大きく影響したと考えられる. 第四紀は氷床の拡大縮小を伴う4万年から10万年周期の激しい気候変動の時代となったが, チベット高原における雪氷の拡大縮小は, 気候変動を増幅する役割を持っていた可能性が高い. 氷期サイクルに伴い東アフリカの湿潤・乾燥気候の分布が大きく変動したことは, 原人類の更なる進化とユーラシアへの移動を促す重要な契機となった. 第四紀の寒冷な気候とアジアモンスーンの弱化に伴う中央アジア・西南アジア地域の広大な草原・ステップの形成は, 多様な草食性動物の棲息の場となったが, この地域に移動した新人類の進化にとって, これらの草食性動物との共存関係は重要な意味を持つと考えられる. 最終氷期が終わった10Ka(Ka:千年前)1万年前以降, 温暖で比較的安定な完新世の気候の下で, チベット・ヒマラヤ山塊の東と西で, 人類はイネと麦類を中心とする農耕を始めて新たな文明の時代に入ったが, 同時に地球環境を人類自らが大きく変化させるという新たな問題を生み出す時代の始まりにもなっている.
著者
安成 哲三
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.19-38, 2013-03-20

本稿では第三紀末から第四紀にかけてのヒマラヤ・チベット山塊の上昇と, それに伴う気候・生態系変化が人類の起源と進化にどう影響を与えてきたかを, 最近30年の地球科学, 人類学の研究をレビューしつつ, 考察を試みた. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇は, 第三紀末からアジアモンスーン気候と西南アジアから北アフリカにかけての乾燥気候を強化していった. 特に5-10Ma(Ma: 百万年前)頃の, 東アフリカの大地溝帯の形成による赤道東アフリカの気候の乾燥化と草原生態系の拡大は, 原人類の起源に重要な意味を持っていることが明らかとなった. チベット・ヒマラヤ山塊の上昇に伴うモンスーン降水の増加は山塊の風化・侵食過程を通して大気中のCO[2] 濃度減少を引き起こし, 地球気候を第三紀から第四紀の寒冷な氷河時代へと導入していった. CO[2] 濃度の低い大気環境によるC[4]植物の草原の拡大は有蹄類の動物の多様な進化を促し, このことは原人類の進化にも大きく影響したと考えられる. 第四紀は氷床の拡大縮小を伴う4万年から10万年周期の激しい気候変動の時代となったが, チベット高原における雪氷の拡大縮小は, 気候変動を増幅する役割を持っていた可能性が高い. 氷期サイクルに伴い東アフリカの湿潤・乾燥気候の分布が大きく変動したことは, 原人類の更なる進化とユーラシアへの移動を促す重要な契機となった. 第四紀の寒冷な気候とアジアモンスーンの弱化に伴う中央アジア・西南アジア地域の広大な草原・ステップの形成は, 多様な草食性動物の棲息の場となったが, この地域に移動した新人類の進化にとって, これらの草食性動物との共存関係は重要な意味を持つと考えられる. 最終氷期が終わった10Ka(Ka:千年前)1万年前以降, 温暖で比較的安定な完新世の気候の下で, チベット・ヒマラヤ山塊の東と西で, 人類はイネと麦類を中心とする農耕を始めて新たな文明の時代に入ったが, 同時に地球環境を人類自らが大きく変化させるという新たな問題を生み出す時代の始まりにもなっている.
著者
水野 一晴
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.142-153, 2012-05-01

インドのアルナチャル・プラデシュ州のモンパ民族地域において, 住民にとって「山」がどのような存在となっているのかを調査した. その結果, 山は, モンパ民族地域において次の3つの役割を果たしていることが判明した. 1.山は民族分布や文化, 社会の境界をつくっている. アルナチャルヒマラヤ(アッサムヒマラヤ)の山脈が流通の障害物の役割を果たし, タワンモンパとディランモンパでそれぞれ独自の言語や生活習慣が発達し, 両者の境界をつくっている. また, 山は1962年の中国軍のモンパ地域への侵攻以来, インド軍が大規模に駐留して, 自然の要塞の役割を果たしている. 2.モンパ民族が古くから信仰するボン(ポン)教の宗教的儀礼, 祭式において, 山が神として信仰の対象になっている. 各地域はそれぞれ周辺に山の神が存在し, その神に祈り, 捧げ物をする儀式, 祭りが行われている. 捧げ物は少女や家畜であり, それぞれの山の神に捧げるものが決まっている. ディランモンパ地域のディランゾン地区やテンバン地区では, 社会的階層としての上位クランと下位クランに分かれており, このような伝統的儀礼にはそのクラン(氏族)の差が明瞭に見て取れる. 3.山はモンパ民族にとって資源として重要であり, 住民は山の森林から材を得てきた. ディラン地方では森林は3つに区分され, それぞれの使用目的も異なる. しかし, 近年大量伐採によって森林破壊が顕著になり, そのため, 商業伐採が禁じられたが, 今でも違法伐採が続いている. 住民たちもそのような森林の過度の伐採に危機感を感じるようになってきたため, 伐採に代わるような現金獲得手段を考え, 森林保護を進める動きが出てきた.
著者
横山 智
出版者
京都大学ヒマラヤ研究会・京都大学ブータン友好プログラム・人間文化研究機構 総合地球環境学研究所「高所プロジェクト」
雑誌
ヒマラヤ学誌 : Himalayan Study Monographs (ISSN:09148620)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.242-254, 2013-03-20

自然の力を利用して作物栽培を持続的かつ循環的に営むことができるのが焼畑農業である. 先人たちは, 土地に合った耕作と休閑のパターンを守り, 焼畑を何世紀にもわたって存続させてきた. しかし, 遅れた農法と見なされた焼畑は, 世界各地で規制され, その面積は急速に縮小し, 消滅の危機を向かえようとしている. 本研究では, 現在でも広く焼畑が営まれている東南アジアのラオス北部を事例に, 焼畑を持続させてきた自然資源の循環的利用や焼畑を営む人びとの生業維持の戦略にフォーカスをあてることで, 焼畑の生業にとっての価値を再考することを試みた. その結果, 焼畑の特徴は「区分」ではなく「連続性」に特徴づけられることを示した. 火入れ後の1 年間は食料を生産する「畑」であるが, その後の休閑地となっている長期間は植物の侵略と遷移が繰り返され, また各種の生物が生きる「森」である. 焼畑は畑と森の両方の機能をあわせ持ち, 森林を破壊する農法と捉えるのは適切ではない. さらに, 生業の面から焼畑を捉えると, 作物栽培を行った後, 同じ場所で牛の刈跡放牧を行い, 植物や昆虫を採取し, 狩猟まで行っている. 生態学的な連続性に加えて, 生業の連続性という特徴も有する. 焼畑を「連続性」の視点から再考すれば, 従来とは異なる価値を見いだすことができるのである.