著者
青柳 にし紀 山本 もと子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要 (ISSN:13467433)
巻号頁・発行日
no.7, pp.45-62, 2006-03
被引用文献数
1

信州大学留学生センター研修コース、第12期授業「教室外活動」の実際を報告する。本授業はプロジェクトワークの活動を中心に組み立て、学習者の主体性を重視しながら実社会の日本人や生の日本語に触れることを目的とした授業である。第12期(2005年前期)「教室外活動」(水曜日午後)では試験的に授業前アンケートを実施し、学習者が日本文化の体験を多く望んでいたことから、日本文化の体験を中心に授業を組み立ててみた。さらに、学習者自身が授業の企画に携わり、教師の指導を受けながらも自律的に見学場所を決定し、実際に見学先の日本人と実行上の交渉に当たるなどの活動を取り入れた。その結果、学習者にやりがいを与えることができた反面、時間的、経済的負担が大きいなどの問題も生じた。授業前アンケートの結果を重視しすぎたとの反省から、今後は教師から提示する活動と学習者の希望を取り入れる活動とを分け、両者に検討を加えて授業を組み立てるべきだと考える。
著者
山本 もと子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-13, 2003-03-31

「感謝」と「謝罪」という異なった言語行動が日本語では両方とも「すみません」で表現できるという事象を、Brown and Levinson(1987)が「感謝」と「謝罪」をFace Threatening Act=FTA として同じカテゴリーに分類していることを切り口に「丁寧さのストラテジー」によって説明する。そして、日本語学習者用テキストやドラマのシナリオから感謝の意味を持つ「すみません」と「ありがとう」との使い分けを分析し、特に日本語では話し手と聞き手の相対的力関係や社会的規範がこれらの言語行動の違いに強く影響していることを言及する。また、アンケートの結果から、近年では感謝の気持ちを表すのに「すみません」より誤解の少ない「ありがとう」を用いる者が多いことが明らかになった。
著者
山本 もと子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.9-21, 2001-03-31

原因・理由の接続助詞「から」と「ので」の意味と用法の違いは、これまで永野(1952)以来「から」は原因・理由を主観的に説明するものであり、「ので」は因果関係を客観的に描写するものであると分類されてきたが、未だ統一的な見解に至っていない。本論では、これらの意味と用法の違いはBrown and Levinson(1978,1987)が論じる「丁寧さ」のストラテジーによって生じるのではないかという仮説を立て、シナリオや漫画などにおける日常的な会話では「から」と「ので」がどのように使い分けられているかを検証する。その分析をもとに、これらの違いは話し手が聞き手や話している場面や発話内容に応じて、無意識に表現の使い分けをしていると結論付ける。
著者
今村 一子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.3, pp.45-59, 2002-03-31

「は」と「が」の使い分けは言語学的にも日本語教育においても難しい分野である。現在この両者の使い分けの原理としていくつかが挙げられているがそれらは取り立て助詞としての「は」の用法から必然的に生み出されたものである。この用法からの「は」の性格に格助詞である「が」がほぼ対立的な特徴を持って対峙しこれらの原理を構成している。この時「が」は単なる格助詞としての役割を越えた特殊なニュアンスや用法を持つようになる。主題文が文型として確立している日本語では、その教育現場において「は」の主題を提示する用法を分かりやすい文型の登場に合わせて積極的に教えてゆく必要があると同時に「が」の文は基本的に情報の原理を使うことでより広く使い分けの問題に対応できるのではないか。
著者
山本 もと子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.2, pp.9-21, 2001-03-31 (Released:2015-09-28)

原因・理由の接続助詞「から」と「ので」の意味と用法の違いは、これまで永野(1952)以来「から」は原因・理由を主観的に説明するものであり、「ので」は因果関係を客観的に描写するものであると分類されてきたが、未だ統一的な見解に至っていない。本論では、これらの意味と用法の違いはBrown and Levinson(1978,1987)が論じる「丁寧さ」のストラテジーによって生じるのではないかという仮説を立て、シナリオや漫画などにおける日常的な会話では「から」と「ので」がどのように使い分けられているかを検証する。その分析をもとに、これらの違いは話し手が聞き手や話している場面や発話内容に応じて、無意識に表現の使い分けをしていると結論付ける。
著者
中村 純子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要 (ISSN:13467433)
巻号頁・発行日
no.7, pp.13-24, 2006-03

長野県上伊那地方で使われている方言終助詞「ニ↑」の意味を、「ヨ」、「ジャン」と比較し、明らかにすることを目的とする。「ニ↑」は聞き手が共通認識を持ってしかるべきだという文脈で、聞き手の共通認識の欠落に対して、話し手が共通認識を要求する標識である。「ヨ」は「ニ↑」と同様、話し手と聞き手との間に認識のギャップがあることが前提にあるが、聞き手に対して、「共通認識を持ってしかるべきだ」という話し手の意識はない。「ジャン」は「ニ↑」、「ヨ」とは逆に話し手と聞き手の認識のギャップがないことが前提となっている。
著者
中村 純子
出版者
信州大学留学生センター紀要
雑誌
信州大学留学生センター紀要 (ISSN:13467433)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-11, 2000-03

本稿では終助詞に男性語と女性語の別があるのは使用者のイメージが語に刷り込まれた結果であると捉える。従って用法によって想定される使用者の性が異なれば同じ終助詞でも男性語・女性語が異なることになる。この立場から終助詞の男性語、女性語が基本体とデス・マス体においてどのような異なりを示すかを記述した。その結果、基本体とデス・マス体で男性語・女性語に異なりのない終助詞、異なりのある終助詞に大別された。異なりのある終助詞でも基本体とデス・マス体で性提示が全く異なる終助詞は見られなかった。