1 0 0 0 OA 赦帳

出版者
巻号頁・発行日
vol.第109冊分冊ノ1 七廉御赦帳,

1 0 0 0 OA 大赦調書

出版者
巻号頁・発行日
vol.[205] 五分冊ノ一 「文恭院様御新葬御法会」 御赦帳,

1 0 0 0 OA 康富記

著者
中原康富
出版者
巻号頁・発行日
vol.[42],

1 0 0 0 OA 撰要類集

出版者
巻号頁・発行日
vol.[15] 旧政府撰要集抜萃 褒美、救恤、尼寺由緒 一,
出版者
巻号頁・発行日
vol.41 三州岡崎城図,
出版者
巻号頁・発行日
vol.161 上州高崎城図,
著者
中院通茂
出版者
巻号頁・発行日
vol.[4],

1 0 0 0 OA 三十輻

出版者
巻号頁・発行日
vol.15・16,
出版者
巻号頁・発行日
vol.20 勢州亀山城図,

1 0 0 0 OA 市中取締書留

出版者
巻号頁・発行日
vol.[86] 嘉永,

1 0 0 0 OA 莞翁歌話

出版者
巻号頁・発行日
vol.[4],

1 0 0 0 OA 啓迪集 8巻

著者
曲直瀬道三
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],
著者
夏目漱石//〔著〕
出版者

漱石は松山、ついで熊本からたびたび句稿を東京の子規に送り、批評を求めた。これは明治29年9月25日のもの。子規が朱で二重丸、丸を付し、時に添削、巻末に「子規妄圏」と記す。子規は翌30年3月7日の新聞『日本』掲載の「明治二十九年の俳句界(廿一)」に、二重丸を付した句の大部分(12句)を含む漱石の俳句多数を掲げ、その特色を論じている。なお、漱石は29年4月に熊本の第五高等学校に赴任、6月に中根鏡子と結婚した。本句稿にも「内君の病を看護して」の詞書をもつ句がある。

1 0 0 0 OA 天保撰要類集

出版者
巻号頁・発行日
vol.[204] 第七十四 中 火之部 五,