著者
中島 尚樹
出版者
調布学園女子短期大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

本研究(今年度実施分)では、英語における受動文の意味的条件となる概念の明確化、および、日本語の「テアル」の構文において「受動化」という性質がどのように導入されたか、という点を検討した。前者に関しては、これまでの研究から「影響性(Affectedness)」と「主語の特徴づけ」という概念を取り上げて検討した。まず、これらの概念が「状態/非状態」、stage/individualという概念、また、意味役割とどのような関係にあるかを調べた。一般に「主語の特徴づけ」という性質を持つ状態動詞の受動文は、受動化で移動する要素がその動詞の項でなくてもよいが、影響性に従う受動文のタイプにも、小節をとる知覚動詞の受動化の例など、その動詞の項でないものがあることが分かった。これらの意味概念を明確にするには、その概念が統語的にどの項との意味合成から得られるかということを明示することが有益であると思われる。この点をTenny(1987,1982)の「限定性(delimitedness)」stage/individualという概念を取り上げて検討した。また、これらの意味的条件の適用範囲を調べるために、統語的、意味的性質による受動文タイプの細分化を行なった。後者に関しては、受動化の性質を持つ補助動詞「テアル」をserial verb constructionとして分析し、本動詞「アル」の等位構造から補助動詞の「テアル」が生まれたという分析を動的文法理論の枠組みで検討した。この分析は、補助動詞「テモラウ」などにも一般に拡張して適用することが出来ると考えられ、今後この可能性も検討する必要がある。
著者
外池 昇
出版者
調布学園女子短期大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1993

陵墓が社会の中にどのように位置づけられるかという問題は、知識人や政治家にとってでなく、陵墓に指定された古墳の周辺に生活する人々にとってこそ重要な問題であった。この研究では、このような視点から陵墓について考えた。つまり、民衆と古墳との繋がりについて考察したのである。江戸時代が終わって、天皇が国家の頂点に立つ明治時代になると、天皇の祖先の墳墓である陵墓が俄然脚光を浴びるようになた。中央政府も、また地方行政府も、それぞれの立場から、さまざまな古墳を陵墓として指定しようとした。そして、中央政府と地方行政府との思惑は、必ずしも一致してばかりではなかったのである。そのような一致しなかった例の一つが、群馬県にある総社二子山古墳と前二子山古墳の事例である。これらの古墳は、当時の県知事楫取素彦によって、崇神天皇の皇子である豊城入彦命の墓として指定されるように中央政府に強力に推薦されたのである。県知事楫取素彦は、恐らくは自らの信ずる歴史観に従って、自分が統治する群馬県の中に、一つくらいは陵墓がほしかったのであろう。ところが、総社二子山古墳の場合はその指定が長く続かず、前二子山古墳の場合は指定を受けることすら失敗したのである。いずれの古墳の場合をとってみても、古墳の周辺に生活する民衆によって、古墳は生活の糧を得るために利用されていたのである。陵墓という概念は、そのような民衆と古墳との繋がりを断ち切るものであったのである。明治時代においては、民衆が表立って地方行政府の指導に抗うことは大変困難であった。その中でどのように民衆が行動したかという問題は、歴史学が、陵墓が社会の中にどのように位置づけられたかということを取り扱うに際して、大変重要な課題なのである。