著者
藤田 麻由 藤田 麻由 藤田 麻由
出版者
Hokkaido University
巻号頁・発行日
2021-12-24

トラネキサム酸(TXA)は人工アミノ酸で,抗プラスミン作用があり,止血,抗炎症薬として用いられる.獣医療においてもこの使用のほか, 動物の誤飲・誤食の催吐薬としても使用される.ヒトでも TXA の副作用として悪心・嘔吐が報告されている.先行研究ではラットで,TXA を 24 時間間隔で 2 回皮下投与するとパイカ行動が誘発されることを利用して,TXA の悪心誘発機序を解析し,ラットにおける TXA の悪心誘発作用が最後野および孤束核のニューロン活動が関与していることが示されている.最後野と孤束核には相互の神経連絡と,迷走神経求心路からの密な入力があり, 最後野は血液脳関門が欠落しているため,薬物が血流を介して到達しやすい.このため,TXA 投与により引き起こされる神経活動の変化が脳幹レベルでどのように統合されるのか,また TXA がこれらニューロンを興奮させる機序については不明な点多く残されている.本研究では最後野および孤束核へは迷走神経求心性線維が投射していることに着目して,迷走神経切除および最後野破壊の外科処置を行ったラットを用いて,TXA 誘発の条件付け味覚忌避(Conditioned Taste Avoidance,CTA)を測定することにより,TXA 投与による悪心・嘔吐誘発の神経機序に関するデータを収集し,TXA 投与によって起こる神経活動の変化が脳幹レベルでどのように統合されるのかを明らかにすることを目的とした.本研究は国立大学法人北海道大学動物実験に関する規定を遵守して行った.実験動物として SD 系雄性ラット(7~10 週齢)を用いた.正常ラット(対照群),横隔膜下両側迷走神経切除術を行ったラット(VX 群)および,最後野を破壊したラット(APX 群)を実験に供した.CTA 測定のプロトコールは, 実験開始から 7 日間(実験 0~6 日目)は絶水サイクルに馴化させ, 1 日のうち,飲水可能な時間は 9 時からの 20 分間と,10 時からの 3 時間とし,3 時間 20 分の自由飲水の期間で 1 日に必要な水分摂取を行わせた.この後,全ての実験期間において同じサイクルで飲水制限を行った.実験 7 日目に条件付けとして,最初の 20 分間で 0.1%サッカリンナトリウム溶液を与え,直後に TXA(1.5 g/kg,1.5% BW)を腹腔内投与した.実験8 日目は回復日とし,1 日 2 回の飲水期間において蒸留水のみ与えた.実験 9 日目から 14 日目の 6 日間を CTA 測定日とし,各測定日のサッカリン摂取量と条件付け日のサッカリン摂取量を比較し,CTA 獲得を判定した.TXA 溶液(1.5 g/kg)の物理的浸透圧は約 452mOsm と, 体液よりも高浸透圧であるため,浸透圧刺激による悪心誘発の可能性を調べた. そこで生理食塩水にマンニトールを添加して実験で使用した TXA 溶液と等張に調整した溶液を無条件刺激として正常群に腹腔内投与し,MA 群として上述同様の CTA 測定を行った.また免疫組織染色により c-Fos 陽性細胞を可視化し,最後野と孤束核の神経活動の指標とした.CTA 測定結果の統計学的解析には解析ソフト R を用いて, 一元配置分散分析(oneway analysis of variance)およびダネットの多重比較法(Dunnett’s test)を行ない,条件付け日のサッカリン摂取量と各 CTA 測定日のサッカリン摂取量を比較した.またc-Fos 陽性細胞発現数の解析には解析ソフト Prizm を用いてt検定を行った. 有意水準 5%をとし, p 値がこれを下回った場合(p < 0.05)を統計的に有意とみなした.CTA 測定日のサッカリン溶液摂取量は条件付け日(16.33 ± 1.40g)と比較して,対照群(n = 6)では測定日 1 日目(5.26±0.78g)と 2 日目(12.32 ± 0.90g)において有意に減少し,VX 群(n = 6)では測定日 1 日目(7.60 ± 0.85g)のみ有意に減少した.APX 群(n = 5), MA 群(n = 6)では全ての測定日において,サッカリン溶液摂取量の有意な減少は認められなかった.TXA 投与により最後野および孤束核に多くの c-Fos 陽性細胞を認めたが,生理食塩水投与では c-Fos 陽性細胞の発現はほとんど認められなかった. MA 群では少数の cFos 陽性細胞を認めた.TXA 誘発の c-Fos 陽性細胞数は,対照群の最後野で 286.4 ±52.15,孤束核で 1048±113.5 であり,迷走神経切除群の最後野では 128.7 ± 12.71,孤束核で 485.7 ± 93.50 であり,迷走神経切除群は対照群より有意に少ない発現数であった.これらは迷走神経求心路切除による最後野および孤束核の神経活動の減少を示しており,迷走神経切除によって TXA 誘発の CTA が減弱したことと一致していた.本研究の結果から, TXA(1.5 g/kg)の腹腔内投与により CTA が誘発され, TXA 誘発の CTA は迷走神経切除によって減弱し, 最後野の破壊で CTA が阻止された. 本研究で観察した CTA は TXA の薬理作用によるものであることも確認できた.VX 群においては CTA の強度が減弱されたことから,迷走神経求心性線維が伝える内臓感覚情報は TXA による悪心誘発に部分的に関与していることが示唆された.一方,APX群では CTA 獲得を認めなかったことから,本研究により, TXA による悪心誘発機序には最後野がより重要な役割をしていることが示唆され,悪心を誘発する神経性情報および液性情報は最後野において統合されている可能性が示された.