著者
竹本 寛秋
出版者
kader0d
雑誌
kader0d
巻号頁・発行日
vol.6, pp.64-76, 2011-09

大正期に刊行される「詩の作り方」と明治期に刊行される「新体詩の作法書」を比較し、大正期に現れる「詩の作り方を教えることはできない」という言説の特徴を分析した。「詩は教授不可能」という言説により、「詩」は「心のままに書けばよい」もの、誰にでも作ることのできるものとされる一方で、詩人の特殊な「個性」なければ生み出すことができないとものとして定位される。その結果、「詩」が卓越化される様相を明らかにした。
著者
竹本 寛秋
出版者
kader0d
雑誌
kader0d
巻号頁・発行日
vol.6, pp.64-76, 2011-09

大正期に刊行される「詩の作り方」と明治期に刊行される「新体詩の作法書」を比較し、大正期に現れる「詩の作り方を教えることはできない」という言説の特徴を分析した。「詩は教授不可能」という言説により、「詩」は「心のままに書けばよい」もの、誰にでも作ることのできるものとされる一方で、詩人の特殊な「個性」なければ生み出すことができないとものとして定位される。その結果、「詩」が卓越化される様相を明らかにした。