著者
笠谷 和比古
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.16, pp.33-48, 1997-09-30

徳川家康の姓氏問題は複雑である。家康はその血統的系譜を清和源氏の流れを汲む新田一族の一人得川四郎義季の末裔たることに求め、自らの姓氏を清和源氏と定めたとされるが、これは天下の覇権を掌握した家康が、慶長八(一六〇三)年の征夷大将軍任官を控えて系譜の正当化をはかる目的で、そのような始祖伝承を無理に付会していったものであるとこれまで見なされてきた。しかし家康宛の朝廷官位叙任に関する口宣を分析した米田雄介氏の近年の研究成果は、このような通説的歴史像に疑義を生じさせるものとなっている。本稿はこれらの研究史を踏まえ、かつ家康関係文書の再検討を通して、家康の姓氏の変遷を追究する。それは単に、家康の源氏改姓の時期のいかんを求める事実問題としてだけではなく、姓氏の変遷に表現されたこの時期の国政上の意義にかかわる問題でもある。本稿では、この家康の源氏改姓問題を通して、豊臣秀吉の関白政権時代の国制はその下に事実上の徳川将軍制を内包するような権力の二重構造的性格を有するものであったことを論じる。

言及状況

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http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/12 … 天正13年 小牧・長久手の戦い 天正14年 45歳 (豊臣秀吉誕生) 天正18年 関東入部 天正19年 50歳 45歳から50歳の間に、藤原から源になったようです。 上記論文では天正16年の聚楽行幸のタイミングではないかと推測しています。 これは、源氏の氏の長者である ...

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http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/582/1/nk16002.pdf 天正13年 小牧・長久手の戦い 天正14年 45歳 (豊臣秀吉誕生) 天正18年 関東入部 天正19年 50歳 45歳から50歳の間に、藤原から源になったようです。 上記論文では天正16年の聚楽行幸のタイミングではないかと推 ...

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笠谷 和比古「徳川家康の源氏改姓問題」(1997) https://t.co/072DNny2PO 家康が三河守に就任したのは永禄9年。将軍が弑殺された翌年にあたる。次期将軍がまだ決定しない時期だった。源氏の氏の長者である将軍がいないため、官位の斡旋をしてくれる存在がいない。
@Tdr_moeguti4065 私自身勘違いしていましたが、家康は豊臣を名乗っていませんね。藤原から源に変えたのが天正16年と推論している論文があります>「徳川家康の源氏改姓問題」(笠谷和比古)http://t.co/uY8sofL1Z9

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