著者
登 久希子
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.119, 2017 (Released:2019-10-09)
参考文献数
24

1980 年代後半から1990 年代にかけて、文化の多様性が顕在化するアメリカにおいて「ア メリカ的」価値観を巡る社会的かつ政治的な対立としての「文化戦争(Culture Wars)」が激 化した。本稿はそこでいかなる芸術の自由が求められたのか、そして特定の作品を巡って 何が実際に争われていたのかを考察するものである。芸術分野における文化戦争の発端は 一般的にアンドレ・セラーノとロバート・メイプルソープの作品にさかのぼる。当時、ア メリカの国立機関である全米芸術基金(NEA)は存続の危機にあった。その撤廃を目論む 共和党保守派の政治家たちは宗教右派団体による「冒涜的」な作品の批判を利用し、それ らの作品を支援するNEA を攻撃した。 本稿では文化戦争において保守派の批判を受けた作品について、多様な性的アイデンテ ィティの表象だけではなく、資本主義経済における「もの」の分類が問題となっていた点 を明らかにする。そこで求められる芸術の自由は、ものの存在のあり方にも関わる。まず 第1 節において、メイプルソープの展覧会取りやめとそれに対する抗議行動でみられたふ たつの芸術の自由の言説について考察し、一方が芸術という自律した領域を前提とするも のであり、もう一方は社会に根ざした一市民としてアーティストが持つべき表現の自由を 前提としていた点を確認する。つづいて、セクシュアリティや暴力をテーマにしたパフォ ーマンス・アートを手がけてきたカレン・フィンリーの事例において、個人による表現の 自由の言説がより強調されていく様を追い、フィンリーが公的助成金と芸術の「自由」を どのように関係づけていたのかを確認する。文化戦争において争われた芸術の自由とは主 体の権利としてだけではなく資本主義経済における「もの」の分類をめぐって展開された のだ。

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「文化戦争」と芸術の自由 登 久希子 * 【要旨】 1980 年代後半から 1990 年代にかけて、文化の多様性が顕在化するアメリカにおいて「ア メリカ的」価値観を巡る社会的かつ政治的な対立としての「文化戦争(Culture Wars)」が激 化した。 https://t.co/2gNuRZ0lFo
だが結末から言うと、世界的にメイプルソープの名声は高まり、日本では最高裁で勝訴。今も日本でも多数の企画展が開催されている。当時はアメリカ保守派が糾弾し、今は日本の左派が表現に制限を加える愚を犯しているが、時代は巡るだろう。 https://t.co/d5S83pqmio https://t.co/RbVCYUodeV
「「文化戦争」と芸術の自由」登久希子 https://t.co/CM2Vgjw2m7
ついでにJ-stageでさっき見つけた論文メモしておこう。あとで読む。 https://t.co/lvekXRJE6n
PDFあり。 ⇒登久希子 「「文化戦争」と芸術の自由」 『年報カルチュラル・スタディーズ』5巻(2017年) https://t.co/vp1Ww8Br6x

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