- 著者
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長 志珠絵
- 出版者
- ジェンダー史学会
- 雑誌
- ジェンダー史学 (ISSN:18804357)
- 巻号頁・発行日
- vol.11, pp.21-35, 2015 (Released:2016-11-10)
- 参考文献数
- 20
第二次世界大戦を通じ本格化した「空爆」は、前線と銃後の線引きをゆるがし、「防空」を「国民」の義務とした。では戦時下日本での防空言説は、兵役を担わない性をどのように位置づけていったのか。本稿は、戦時下日本での「空襲」に関わるジェンダー表象を戦時下の防空言説および戦後の空襲記録運動に時間軸を延ばすことで分析した。1章は空襲研究とジェンダー射程との接合として課題を設定した。2 章は本稿の中心的な章である。第一次世界大戦後の科学兵器の開発競争と関わって防空言説の登場は早く、1932 年以降の防空体制の検討は、地域婦人会をはじめ、銃後の女性役割を意味付け、「家庭防空」が強調された。また日本軍の開発兵器でもあった毒ガス攻撃対策の一方、焼夷弾訓練など、人びとが自身の身体を守るための知は提供されなかった。日中戦争以降、改定を重ねる「防空法」はしだいに都市住民としての女性たちを銃後の性から都市防空の守り手へとその境界領域を侵犯させ、空爆が始まると即戦力であることを期待され、女性ジェンダー表象からは逸脱した。しかし占領期、戦後の空襲イメージは、求められる女性表象と密接に関係している。防空の担い手としての心性は「敗戦」下ですぐには切断されないものの、占領軍の空爆調査はジェンダーや民族の線引きを引き直し、戦意喪失過程の「日本人論」として描きなおされた。3章では市民運動としての空襲記録運動のジェンダー偏向について指摘した。成人女性の多様な語りが多く含まれることで担保されていた、前線と銃後の線引きのゆらぎのリアリティや両義性は、空襲記録運動の言説が戦争被害者としての「日本人」の語りに収斂されるなかで単線化していく。「終わりに」も含め、敗戦占領から戦後史へ、と続く過程を既存の線引きを引き直す力学としてとらえ、今日の「国民」の物語としての「子ども」を主人公とした空襲被害の物語の持つ危険性と戦時下のジェンダー線引きへの着目の持つ有効性を再度確認した。