- 著者
-
長谷川 貴彦
- 出版者
- ジェンダー史学会
- 雑誌
- ジェンダー史学 (ISSN:18804357)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, pp.5-16, 2022-10-14 (Released:2023-10-13)
- 参考文献数
- 24
2020年11月、路上で生活をしていた女性が、明け方に渋谷区のバス停で殴打されて死亡した。パートタイムの仕事を転々として、折しもコロナ禍で仕事を失っていた女性は、アパートを出てホームレスとなり夜露をしのげるバス停のベンチの上で就寝するという姿が目撃されていた。犯人の男性は、後日母親に付き添われて警察に出頭したが、自営業を営む彼もまたコロナ禍で生活不安を覚える存在でもあったとされる。コロナ禍では、とりわけ若年の女性が自ら死を選ぶというケースが増えているという。新自由主義のもたらす格差社会のなかで、コロナウィルスの蔓延という事態。100年に一度とも言われる重層的な危機が、社会を直撃するなかで、弱い立場に置かれた女性に集中したかたちで表出される。思えば、こうした女性たちは、過去においても存在していたはずである。彼女たちは、どのように危機を経験し、それに対応していったのだろうか。こうした素朴な問いが、本稿の出発点となる。歴史のなかでの女性は、見えない存在とされている。とりわけ貧困のなかで喘ぐ女性の姿は、ほとんど可視化されてこなかった。これは、近代の歴史研究がたどってきた軌跡によって形成されてきたと思われる。たとえば、19世紀の歴史学の課題は、政治史的アプローチを中心としながら、政治家のための学校として将来のエリートに対して模範となる指針を提供することにあった。20世紀には、社会史研究の勃興によって労働者や女性の姿が復元されてきたが、貧困や福祉が中心的な主題となったのは、新自由主義の台頭によってポスト福祉国家が叫ばれるようになってからのことであった。現実と学問の状況が交錯するなかで、貧困や福祉に関するアプローチもこの間に大きく刷新されてきたと言ってよかろう。国家レベルでの制度や政策を対象とする政治史・経済史的アプローチ、その背景としての社会構造や社会変動に焦点を当てる社会史的アプローチ、個人レベルでの身体性や主観性にまで立ち入っていく文化史的アプローチなど、対象と方法が進化・発展してきたのである。本稿の課題は、貧困と福祉の問題に対するアプローチの変化を念頭に置きながら、イギリス(イングランド)の歴史のなかで貧困と福祉がどのように論じられているのかを素描することである。まずは、歴史のなかの福祉と貧困を論じる研究史を整理しながら、それが国家、地域、個人という分析の位相を変化させながら進化してきたことを明らかにする。次に、それらの方法論的視座に基づいて、近世から近代にかけての福祉国家の歴史的源流の実態を明らかにする。この論点に関しては、すでに拙著(長谷川2014)で論じたところであるので、ごく簡潔に描写することにする。さらに、同じ視点から戦後福祉国家の歴史的展開を論じることにする。戦後福祉国家史は、サッチャリズムないしは新自由主義の前史として論じられてきたところだが、近年、この新自由主義の「成功物語」には疑問符がつけられるようになっている。戦後史の再検討のなかで提出されている論点を踏まえながら、福祉と貧困の歴史を論じることにしたい。