著者
田中 雅一
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.55-80, 2016 (Released:2017-09-15)

本稿の目的は、侵犯的な宗教性について理解することである。ここで取り上げる供犠は、おおきく聖化と脱聖化の儀礼に分かれる。前者は神に近づき、聖なる力を獲得する道を提示するのに対し、後者は罪や不浄を取り除く。聖化では、神の力が充溢している供物の残滓を分配し、消費する。脱聖化では、残滓に罪や不浄が吸収され、家屋や寺院の外に放置される。しかし、儀礼の目的が脱聖化かどうか不明だが、残滓が摂取されない場合がある。それはヴェーダの神々や、憤怒の相を表す下級の神々を鎮めるための儀礼である。シヴァ神については、残滓はニルマーリヤと言い、これを受け取るのはチャンダとかチャンデーシュヴァラと呼ばれる聖人だけである。彼はシヴァの聖者の一人である。本来忌避すべきニルマーリヤを受け取るのは、侵犯的な信愛(バクティ)の表れの一つと言える。本稿では、供犠の残滓に注目することで規範の侵犯に認められる宗教的性格について考察する。

言及状況

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『食事との関係で述べると、聖化の供犠では、供犠の後で犠牲(供犠の残滓)が料理され積極的に摂取される』/"ヒンドゥーの供犠とその残滓:宗教的性格を探求する;田中, 雅一 https://t.co/s6joNDmA2e
論文メモ。「…聖化と脱聖化の儀礼に分かれる。前者は神に近づき、聖なる力を獲得する道を提示するのに対し、後者は罪や不浄を取り除く。聖化では、神の力が充溢している供物の残滓を分配し、消費する。脱聖化では、残滓に罪や不浄が吸収…」
この論文も面白そうなので、あとで読も。 田中雅一 2016 「ヒンドゥーの供犠とその残滓:宗教的性格を探求する」『宗教研究』90(2):55-80. J-STAGE Articles - ヒンドゥーの供犠とその残滓 https://t.co/qRn5Mzjj7a

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