著者
清水 邦彦
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.92, no.2, pp.107-130, 2018-09-30 (Released:2018-12-30)

明治時代初期において、地蔵像等の仏像が撤去・破壊された事例が全国に散見する。本稿では、地域を絞って、地蔵像等の仏像撤去・破壊の原因を解明することを目的とする。京都府・大阪府・滋賀県の三地域では、開化政策の一環として、路傍の地蔵像が撤去され、地蔵祭が禁止された。しかしながら、開化政策の一環であったためか、三地域いずれも明治時代中期には、地蔵像が再安置されている。加賀藩・富山藩では、当初、粛々と神仏分離が行われた。その後、富山藩では経済政策として寺院整理が行われ、仏像が鋳つぶされた。加賀藩を引き継いだ石川県は、水源確保を目的として白山より仏像を下山させ、時に仏像は破壊された。東京都御蔵島では、神道思想に基づき、寺が廃寺となり、地蔵像が破壊された。明治時代初期において、地蔵像等仏像が撤去・破壊された原因として、①開化政策、②神道思想に基づく廃仏毀釈の二つがあることが判明した。

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首無し地蔵を調べたら逸話自体は各地にあるようですね。ただ大元は明治維新以降の廃仏毀釈に求められるように思われます。その際に棄損された地蔵に後付けで様々な理由が加えられたのではないかなあと。 https://t.co/Nsb1Abpjek
——明治時代初期において、地蔵像等の仏像が撤去・破壊された事例が全国に散見する。地蔵像等仏像が撤去・破壊された原因として、①開化政策、②神道思想に基づく廃仏毀釈の二つがある https://t.co/HszGmoPxov 教科書に書かれている廃仏毀釈の痕跡は、案外、今でも目の当たりにするのです。

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