著者
前田 廉孝
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.335-360, 2012-11-25 (Released:2017-06-15)

本稿の課題は,第1次大戦期までにおける日系製塩資本の台湾と関東州への進出過程を検討し,それら勢力圏下製塩業が内地への原料供給地としての役割を果たすに至った過程を明らかにすることである。これを受けて本稿では,野崎武吉郎家と大日本塩業株式会社を事例に,(財)竜王会館所蔵野崎家文書と日塩(株)所蔵史料を主に用いて考察を進めた。本稿の考察より,第1次大戦期まで食塩供給地としての政策的位置づけを得ていなかった勢力圏下製塩業への日系資本の進出とその後の事業は,塩専売制度導入を画期とする内地食塩市場の構造的変化に呼応して展開されたことが明らかになった。さらに,第1次大戦期における内地の食塩需要の急激な拡大に起因した塩専売政策の転換により,台湾・関東州製塩業は内地への原料供給地として勢力圏下の分業構造に組み込まれたのであった。一方で,第1次大戦後には原料塩獲得を目的とした勢力圏下製塩業への食塩需要者による直接進出が活発化した。このことから,国家にとっての原料資源の重要性が増大した第1次大戦期を画期として,日系製塩資本の進出動機は大きく変化した可能性が示唆された。

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@himakane1 https://t.co/fcrhWgbRVV この論説の6p「内地製塩量・輸移出入量・塩田面積の推移」輸移入量が示すように、大日本帝国はコメ以上に「塩」を1930年代以降の新支配地域に依存していました。塩の欠乏は、今で言うところの「熱中症」多発をもたらし、1945年夏までの突貫重労働の後、決戦期は“肉弾”すら消耗

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