- 著者
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奥村 隆
- 出版者
- 東北社会学研究会
- 雑誌
- 社会学研究 (ISSN:05597099)
- 巻号頁・発行日
- vol.96, pp.11-38, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
- 参考文献数
- 11
ロバート・N・ベラー(Robert Neelly Bellah)は二〇一三年七月三〇日に八六歳で逝去した。宗教社会学者として知られる彼は、同時代に強い問題関心を抱き、アメリカ社会を痛烈に批判する「リベラルな知識人」として生きた人だった。本稿は、ベラーが二〇一二年一〇月四日に東京大学駒場キャンパスで行った講演「丸山眞男の比較ファシズム論」を手掛かりに、「日本」と「軸」という観点から「知識人であること」について再考を試みる。丸山眞男が「無責任の体系」と性格づけた日本社会をベラーは「非軸的」ととらえ、アメリカ社会を「ポスト軸的」と論ずる。このふたつの異なる社会で知識人である条件を考えるには、「軸」とはなにかを検討する必要があるだろう。本稿後半では、カール・ヤスパースがいう「軸の時代」に普遍的倫理を説いたプラトンなどの「世捨て人」たちを論じたベラーの論考を通して、知識人が社会のどのような場所にいる存在なのかについて考えたい。