著者
熊沢 由美
出版者
社会政策学会
雑誌
社会政策 (ISSN:18831850)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.109-121, 2017-06-05 (Released:2019-08-30)
参考文献数
27

明治初期に西洋医学が普及する過程では,医師数など,さまざまな混乱や問題が考えられる。本稿の関心はこうした時期の医療保障にあり,医療保障の重要なアクターとしてキリスト教の医療伝道に注目した。1875〜83年まで新潟県に滞在した宣教医パームを事例に,その意義を考察した。 新潟県の事例から見えてきたのは,西洋医学への移行期における地域の実情であった。医育機関ができても,西洋医は微増に留まった。ドイツ医学にもとづく医育機関の整備は,東京に約10年遅れた。医療関係者や住民の西洋医学の受容の度合いも一様ではなく,地域によっては嫌悪感すら見られた。 パームの医療伝道は,新潟県の人々に西洋医学の受診と医育の機会を提供し,西洋医学の受容を促した。国の政策を補い,医療保障の重要な役割を果たしたと言える。医療伝道の行われた地域があったことは,日本の医療史において記録されるべきことである。

言及状況

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新潟県1879(明治12)年7月からコレラ大流行。住民たちが「キリスト教徒が井戸に毒を入れた」という話をやすやすと信じ込んだため,パームの中條の講義所も暴動で破壊されてしまった。

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