著者
瀬尾 華子
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.4, no.3, pp.47-62, 2016-03-31 (Released:2017-01-25)
参考文献数
33

2011年の福島第一原子力発電所事故は,日本の社会全体の政策決定,および意思決定の在り方への関心を集める契機となり,原子力発電に好意的な社会意識や世論の「メディア」を通じた形成が問題化した。本稿では,今日に至るまでの原子力に関する社会意識の形成の始まりを1950年代から60年代に求め,その形成に用いられていた電力産業や官公庁の広報メディアである「PR映画」に原子力がいかに描かれたのかを分析した。その際,PR映画における社会的文脈としての発注者と受注者への視点からPR映画における原子力の表象をみた。その結果,1950年代末葉から60年代までの原子力のPR映画を通して,「平和利用」,「科学技術」,「近代化」が描かれていたことが明らかになり,PR映画は社会的な問題に対応するように表象の形を変容させながら,原子力を啓蒙していたことが示された。しかしながら,そのPR映画における原子力への意味付けは必ずしも単線的なものではなく,1960年代半ば以降のPR映画においては原発推進主体の意図に回収されない,受注者である製作者たちの懸念がもたらした「記録」としての意味付けが存在していた。このようにPR映画と原子力の関係をその社会的文脈の中で検証することは,PR映画という文化遺産の再評価,ならびに原子力への社会意識の形成過程の解明のための新たな一歩になり得るものである。

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