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投稿一覧(最新100件)
戸籍に載っていないということは、やはりほかの回答者さんもおっしゃっているように、死産や流産(いわゆる水子)が考えられますね。
私の母にも「赤ちゃんで死亡」した弟がいたらしいですが、戸籍には記載されていません。
私の父方の祖母の戸籍を見たら、父の異父姉がいたらしいのですが、生後1か月くらいで死亡したと記載されています。
このように、戦前の戸籍では、赤ちゃんのころに亡くなった方については、戸籍に記載さ ...
Wikipediaで「浅井政元」を検索すると、たしかに浅井長政の兄弟姉妹として、政元、政之、岡崎安休、治政、阿久姫、大弐局、京極マリアの名前が書かれていますね。
ですが、兄弟姉妹のリンク先を見てみると、出典元が明らかでなかったり、伝説上の人物らしかったり、ほんとうに浅井長政の兄弟姉妹であったのか、信憑性や確実性がないような印象を受けます。
戦前の本ですが、「東浅井郡誌」という本があります。
その中 ...
「寛政重修諸家譜」には、長坂信政について、次のように書かれていますね。(コマ番号70/621)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719
「小笠原信濃守持長が三男、九郎守重、足利将軍につかへ、山城国長坂村に住し、長坂と称す。のち、三河国額田郡池端村にうつり住す。其三男大炊頭信重、足利将軍につかへ、同国坂戸村に住す。信政はその男なりといふ。」
また、 ...
「寛政重修諸家譜」には、長坂信政について、次のように書かれていますね。(コマ番号70/621)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719
「小笠原信濃守持長が三男、九郎守重、足利将軍につかへ、山城国長坂村に住し、長坂と称す。のち、三河国額田郡池端村にうつり住す。其三男大炊頭信重、足利将軍につかへ、同国坂戸村に住す。信政はその男なりといふ。」
また、 ...
大正4年に出版された「南予遺香」という本に、西園寺公成氏の略歴が書かれています。(コマ番号54/93)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932577/54
宇和島藩士で、明治初年までは西園寺雪江と名乗っていたらしいです。
渋沢栄一との関係については、以下の論文の中に名前が見えています。
https://dl.ndl.go.jp/view/download ...
大正4年に出版された「南予遺香」という本に、西園寺公成氏の略歴が書かれています。(コマ番号54/93)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932577/54
宇和島藩士で、明治初年までは西園寺雪江と名乗っていたらしいです。
渋沢栄一との関係については、以下の論文の中に名前が見えています。
https://dl.ndl.go.jp/view/download ...
大正4年に出版された「南予遺香」という本に、西園寺公成氏の略歴が書かれています。(コマ番号54/93)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932577/54
宇和島藩士で、明治初年までは西園寺雪江と名乗っていたらしいです。
渋沢栄一との関係については、以下の論文の中に名前が見えています。
https://dl.ndl.go.jp/view/download ...
明治30年に出版された「埼玉県南埼玉郡北葛飾二郡公民必携名家鑑」という本があります。
その中で、八條村小作田4番地にお住まいの小幡重吉さんという方の情報が書かれています。(コマ番号33/211)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779639/12?tocOpened=1
実業家で、地租金40円をお払いになっているので、かなり裕福で名家の方だったのではないか ...
大正7年に出版された「最新検定市町村名鑑」によりますと、大分県で「大」のつく群は「大分郡」と「大野郡」の二つです。(コマ番号247/320)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950516/247
さらに「湯」のつく村は、「大分郡湯平村」しかありません。
現在の地名では、「大分県由布市湯布院町湯平」です。
戸籍の拡大写真を見れば、もう少し詳しく考察できると思 ...
「喜入町郷土誌」という本に、喜入氏略系図が載せられています。
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11517091_po_2012510162753.pdf?contentNo=3&alternativeNo=
「第二章 古代・中世の喜入」141ページ(コマ番号109/110)の略系図によれば、以下のとおりです。
忠国(十代太守)―忠弘―忠誉 ...
「尊卑分脈」で調べてみると、平家の嫡流は次のように書かれています。(コマ番号30/50)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991593/15?tocOpened=1
正盛―忠盛―清盛―重盛―惟盛―妙覚(童名六代丸、文覚上人弟子)
また、家盛という人物は、清盛の弟と書かれています。
さらに、「姓氏家系大事典」で「小松」を調べてみると、平維盛の息子の名前は ...
「尊卑分脈」で調べてみると、平家の嫡流は次のように書かれています。(コマ番号30/50)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991593/15?tocOpened=1
正盛―忠盛―清盛―重盛―惟盛―妙覚(童名六代丸、文覚上人弟子)
また、家盛という人物は、清盛の弟と書かれています。
さらに、「姓氏家系大事典」で「小松」を調べてみると、平維盛の息子の名前は ...
水戸学のもとになったのは、もちろん「大日本史」ですが、後鳥羽天皇の本紀を読む限り、神器の所在がないから後鳥羽天皇は偽朝だ、というようなことは書かれていませんよ?
以下は、明治時代になってから刊本された「大日本史」ですが、巻之五十三、五十四に、安徳天皇と後鳥羽天皇の本紀があてられています。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770029
安徳天皇は平家に擁立さ ...
30年くらい前の出版物ですが、「平成新修旧華族家系大成」という系図集があります。
戦前に華族だった人たちの平成初期までの家系図が掲載されています。
公爵だった鷹司家も、もちろん記載されています。
それ以後の現在の系図については、後継の出版物がないので、残念ながらわかりませんね。
鷹司公爵家については、大正3年に出版された「華族大系」にも記載されていますので、ご参考になさってください。(コマ番号54 ...
「寛政重修諸家譜」で細川藤孝の系図を見てみますと、三淵大和守晴員の二男で、晴員の実兄の細川元常の養子になったと書かれています。(コマ番号314/600)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082717
ですが異説として、次のようにも書かれています。
「或はいふ、藤孝は萬松院義晴の男なり、義晴懐妊の婦人を三淵晴員にあたへ、うむところの男たらば嗣とせよとて・・ ...
水戸藩の編纂した「大日本史」によれば、足利直義について以下のように書かれています。(コマ番号32/73)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770042
「足利直義、初名高國、又忠義、尊氏同母弟也」
また、「絵本太平記」には、「たゞよし」と振り仮名がふってあります。(コマ番号21/45)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pi ...
水戸藩の編纂した「大日本史」によれば、足利直義について以下のように書かれています。(コマ番号32/73)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770042
「足利直義、初名高國、又忠義、尊氏同母弟也」
また、「絵本太平記」には、「たゞよし」と振り仮名がふってあります。(コマ番号21/45)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pi ...
「徳川家康が吉良家から清和源氏の系図を手に入れた」という話は、戦前の歴史学者である渡辺世祐博士が提唱されたらしいです。
昭和21年に出版された「日本中世史の研究」という本に「徳川氏の姓氏に就いて」という論文が掲載されています。(コマ番号4/184)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041728/4
そのもとになった話は、前関白である近衛前久が息子の信尹に ...
「徳川家康が吉良家から清和源氏の系図を手に入れた」という話は、戦前の歴史学者である渡辺世祐博士が提唱されたらしいです。
昭和21年に出版された「日本中世史の研究」という本に「徳川氏の姓氏に就いて」という論文が掲載されています。(コマ番号4/184)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041728/4
そのもとになった話は、前関白である近衛前久が息子の信尹に ...
「徳川家康が吉良家から清和源氏の系図を手に入れた」という話は、戦前の歴史学者である渡辺世祐博士が提唱されたらしいです。
昭和21年に出版された「日本中世史の研究」という本に「徳川氏の姓氏に就いて」という論文が掲載されています。(コマ番号4/184)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041728/4
そのもとになった話は、前関白である近衛前久が息子の信尹に ...
世義寺のキーワードで調べてみたら、明治30年に出版された「度会郡志」という本を見つけました。(コマ番号28/62)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766039/28
「教王山神宮寺宝金剛院ハ、俗ニ世義寺ト云フ。モト前山亀五輪ノ地ニアリ、真言宗ノ古刹ナリ。・・・寛文十一年五月十日、桑山奉行ノ命ニヨリ、今ノ瀧浪山ニ移転セリ。昔ハ支院十九院アリシカ、今ハ、唯、 ...
昭和17年に出版された「土佐名家家譜」という本には、幡多郡山路の宮崎氏の系図が書かれています。(コマ番号440/471)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/6?tocOpened=1
系図の中で、「宮崎勘解由貞樹」とか「宮崎勘兵衛貞久」という人名が書かれています。
ひょっとしたら、質問者さまのご実家となにか関係があるのかもしれませんね ...
高橋是清の養家の高橋家については、昭和9年に出版された「高橋是清翁八十年史」という本に詳しく書かれています。(コマ番号14/348)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234670/14?tocOpened=1
高橋直右衛門―是則―是忠―是清
養曽祖父・高橋直右衛門 仙台藩江戸定詰足軽
養祖父・高橋是則 実父は泉州岸和田藩士・土川十之衛門
...
「姓氏家系大事典」によれば、熊本県の永野氏のルーツは次のように書かれています。(コマ番号433/590)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123910/353?tocOpened=1
「永野 ナガノ
菊池氏族 肥後の豪族にして、山鹿郡永野邑より起る。菊池系図に「菊池隆直の長子隆長、永野太郎」と載せたるより出づ」
菊池氏の先祖は「この世をばわ ...
昭和10年に出版された「類聚伝記大日本史・第三巻」には、土井利勝の誕生の秘密について次のように書かれています。(コマ番号31/284)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879765/31
「利勝の生誕に就ては異説紛々として居る。土居家譜等に因ると家康の庶子なりと云ひ、または或時家康が狩に行くと一婦人が嬰児を懐(だい)て路上に迎へ涙を流して頼んだので ...
デジタルコレクションで「直礼」を調べたところ、京都府の「船井郡誌」という本を見つけました。(コマ番号179/196)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950928/179
「園部領御直禮並に帯刀人由緒 御直禮帯刀百姓之覚」という古文書が収録されています。
帯刀というのは、もちろん名字帯刀御免のことです。
直禮というのは、「年頭五節句之御禮勤申候」 ...
「姓氏家系大辞典」で「繁野」姓を調べてみると以下のように書かれています。(コマ番号464/1139)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/453?tocOpened=1
「繁野 シゲノ 滋野氏に同じ。太平記巻三十一に「神家一族三十三人、繁野一族三十一人」とあるは、信濃の諏訪神家と、滋野氏と云ふ也。又繁野八郎等見ゆ。」
「繁野」という ...
国会図書館が運営しているデジタルコレクションで、草ケ谷という苗字を検索してみました。
明治34年に静岡市に住んでいた酒井政太郎氏という方が著した「交際録」に、草ケ谷姓の方が2人記録されています。(コマ番号66/122, 74/122)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777785/66
草ケ谷房吉(有度村北脇)
草ケ谷市左衛門(安倍郡千代田村川合 ...
「為成――渡邊内蔵助
人皇九十九代後厳院御宇足利将軍義詮公代貞治元年正月三日信濃伊那松尾城而誕生ス母佐々木氏女渡邊内蔵人之助為成ト号ス従五位下信濃守号ス応永七年秋頃大相国足利義満公依リ小笠原長秀信州守護職ニ任シ・・・」
そのあとは画像が悪くてちょっと判読が難しいです(笑)
松尾城の城主である小笠原長秀の家来の渡辺内蔵助為成という人物の略歴みたいですね。
松尾城の小笠原家については、大正 ...
昭和17年に出版された「土佐名家家譜」という資料があります。
坂本龍馬や武市半平太、中岡慎太郎といった土佐藩士の家系を知る貴重な文献です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/356?tocOpened=1
高岡郡に竹内家がありますが、その家の遠い先祖は竹内宿禰だと称しています。
吉田茂の父親の竹内綱は、宿毛郡の出身ですよね?
明 ...
昭和17年に出版された「土佐名家家譜」という資料があります。
坂本龍馬や武市半平太、中岡慎太郎といった土佐藩士の家系を知る貴重な文献です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123816/356?tocOpened=1
高岡郡に竹内家がありますが、その家の遠い先祖は竹内宿禰だと称しています。
吉田茂の父親の竹内綱は、宿毛郡の出身ですよね?
明 ...
繪服(にぎたえ)について、国会図書館のデジタルコレクションで調べてみました。
大正5年に出版された「悠紀斎田記録」という本には「繪服の調進」という題で、文献的な考察がなされています。(コマ番号360/421)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954687/360
「延喜式」「北山抄」「貞観儀式」といった平安時代に著された儀式書を引用して、次のように結 ...
大嘗祭での隼人の犬吠えについての情報は、インターネットで探しても見つかりませんね。
国会図書館のデジタルコレクションで調べてみたところ、九州南部に伝わる「隼人舞」というものがあったそうです。
昭和18年に出版された「九州路の祭儀と民俗」という本には、「隼人舞」で吠えられる「狗聲」(いぬごえ)なるものが書かれていました。(コマ番号208/230)
http://dl.ndl.go.jp/inf ...
小室藩というのは、近江国浅井郡と武蔵国北足立郡にありました。
近江国の小室藩は小堀氏、武蔵国の小堀藩は伊奈氏がそれぞれ藩主でした。
「姓氏家系大辞典」には近江国浅井郡の小室村について、以下のような逸話が書かれています。(コマ番号299/1139)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/219?tocOpened=1
信濃国の滋野一族の小室 ...
小室藩というのは、近江国浅井郡と武蔵国北足立郡にありました。
近江国の小室藩は小堀氏、武蔵国の小堀藩は伊奈氏がそれぞれ藩主でした。
「姓氏家系大辞典」には近江国浅井郡の小室村について、以下のような逸話が書かれています。(コマ番号299/1139)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/219?tocOpened=1
信濃国の滋野一族の小室 ...