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自分が確認した限りですが『当代記』で家康の淋病に関する記述は3ヶ所ありますね。
●巻三・慶長十年の正月九日「淋病氣故駿府に暫有滞留」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912983/49
(左ページの下段、右から2行目です)
●巻四・慶長十二年の正月十一日「大御所少々淋病御煩」
●巻四・慶長十二年の正月十五日「大御所淋病氣御惱也」
http ...
自分が確認した限りですが『当代記』で家康の淋病に関する記述は3ヶ所ありますね。
●巻三・慶長十年の正月九日「淋病氣故駿府に暫有滞留」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912983/49
(左ページの下段、右から2行目です)
●巻四・慶長十二年の正月十一日「大御所少々淋病御煩」
●巻四・慶長十二年の正月十五日「大御所淋病氣御惱也」
http ...
所領に関して詳しく調べた史家として笠谷和比古氏がいます。
氏の講演の際に、文禄三年年当時の各大名の所領を克明に記した地図を頂いたのですが、石高の算出もされたとのことでした。
おそらく、このような資料は一般には出回っていないと思います。
笠谷氏はおそらく、江戸時代初期まで写本の来歴が遡れる国立公文書館蔵『当代記』から調べたと考えています。
下記のUPLを貼り付けましたので、お調べに ...
毛利輝元の石高は吉川広家・毛利秀元の石高を含み、九州の小早川秀秋・小早川秀包の石高を含みません。ただ「120万石」についてはちょっと注意が必要です。
毛利家文書に天正19年(1591年)旧暦3月13日付で発給された領知朱印状・領知目録が残っておりますが(『大日本古文書 家わけ文書第8 毛利家文書之三』所収)、それによると領知は「安芸 周防 長門 石見 出雲 備後 隠岐 伯耆三郡 備中国之内、 ...
専門家も本当の理由が判っておりません。松下志朗「近世初期の石高と領知高」(経済学研究42巻275頁(1977年))の脚注31によると、「今野真氏の御教示によれば、上杉氏の出羽国分が除かれているのではないかということであるが、後考に俊ちたい」とありますが、その詳細が論文なり本なりに活字化はされていないようです。ただ最上領と上杉領(庄内)はどっちも差出検地ですので、そこに原因があるのは間違いありません ...
家康が1613年8月、駿府城で見た花火について、花火総合会社 株式会社 若松屋のウェブページ( http://www.wakamatsuya.tv/waka/hkk/himawari_a.html )によれば、『駿府政事録』『宮中秘策』『武徳編年集成』に記述があるとのことですが、静岡県立中央図書館に該当する貴重書はあるでしょうか。
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